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こきでん
ふりがな文庫
“
弘徽殿
(
こきでん
)” の例文
秋風の
音
(
ね
)
にも虫の声にも帝が悲しみを覚えておいでになる時、
弘徽殿
(
こきでん
)
の
女御
(
にょご
)
はもう久しく夜の
御殿
(
おとど
)
の
宿直
(
とのい
)
にもお上がりせずにいて
源氏物語:01 桐壺
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
早くから宮廷に這入っていて、
弘徽殿
(
こきでん
)
女御と言われた。帝が、後に源氏の生母桐壺更衣を余り
寵愛
(
ちょうあい
)
なさるので、自尊心を傷ける。
反省の文学源氏物語
(新字新仮名)
/
折口信夫
(著)
ことしの
五月雨
(
さみだれ
)
頃だった。
弘徽殿
(
こきでん
)
の
更衣
(
こうい
)
づきの、さる女官が、藤壺のひとつのうす暗い小部屋で、ひとりの官人と、
秘
(
ひそ
)
か事をたのしんでいた。
平の将門
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
また花山法皇は御年十八歳のとき最愛の女御
弘徽殿
(
こきでん
)
の死にあわれ、青春失恋の深き傷みより翌年出家せられ、花山寺にて終生堅固な仏教求道者として過ごさせられた。
人生における離合について
(新字新仮名)
/
倉田百三
(著)
また他の一例は
夫
(
おっと
)
たる
帝
(
みかど
)
が悲嘆に沈まれているにかかわらず、お側にも侍らで、月おもしろき夜に夜ふくるまで音楽をして遊ぶ
弘徽殿
(
こきでん
)
のごとき人である(同一一六四)。
日本精神史研究
(新字新仮名)
/
和辻哲郎
(著)
▼ もっと見る
そうした人たちは
弘徽殿
(
こきでん
)
の
女御
(
にょご
)
がだれよりも早く
後宮
(
こうきゅう
)
にはいった人であるから、その人の后に昇格されるのが当然であるとも言うのである。
源氏物語:21 乙女
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
紫宸
(
ししん
)
、
清涼
(
せいりょう
)
、
弘徽殿
(
こきでん
)
などになぞらえられていた所の一切の
御物
(
ぎょぶつ
)
——また昼の
御座
(
ぎょざ
)
の“日の
簡
(
ふだ
)
”、おん仏間の五大尊の
御像
(
みぞう
)
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
中宮
(
ちゅうぐう
)
、
弘徽殿
(
こきでん
)
の女御、この王女御、左大臣の娘の女御などが後宮の女性である。そのほかに中納言の娘と宰相の娘とが二人の更衣で侍していた。
源氏物語:31 真木柱
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
もし
内裏
(
だいり
)
なら、今ごろは、藤の花の匂う
弘徽殿
(
こきでん
)
ノ
渡殿
(
わたどの
)
にこの黒髪もさやかであろうと思うにつけ、妃たちは、
粘
(
ねば
)
い
汚
(
よご
)
れ髪に
触
(
さわ
)
ってみては、女同士で
私本太平記:05 世の辻の帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
皇太后は実家においでになることが多くて、
稀
(
まれ
)
に参内になる時は
梅壺
(
うめつぼ
)
の御殿を宿所に決めておいでになった。それで
弘徽殿
(
こきでん
)
が尚侍の
曹司
(
ぞうし
)
になっていた。
源氏物語:10 榊
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
天皇はその夜、み
后
(
きさき
)
の
弘徽殿
(
こきでん
)
におやすみだったが、あわてて女房衣を
被
(
かず
)
かせ給い、ほかの一殿へお避けになられた。一方の兇賊たちは、お姿が見当らぬので、夜ノ御殿の辺で地だんだを踏んでいた。
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
弘徽殿
(
こきでん
)
の
女御
(
にょご
)
は
藤壺
(
ふじつぼ
)
の宮が中宮になっておいでになることで、何かのおりごとに不快を感じるのであるが、催し事の見物は好きで、東宮席で陪観していた。
源氏物語:08 花宴
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
早田
(
わさた
)
ノ宮の妹で、
弘徽殿
(
こきでん
)
の
西台
(
にしのだい
)
といわれた
佳人
(
かじん
)
がある。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
かつて源氏に不合理な厳罰をお加えになった報いをお受けになったのかもしれない。院のお絵は太后の手を経て
弘徽殿
(
こきでん
)
の
女御
(
にょご
)
のほうへも多く来ているはずである。
源氏物語:17 絵合
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
弘徽殿
(
こきでん
)
の女御は早くからおそばに上がっていたからその人を
睦
(
むつ
)
まじい者に思召され、この
新女御
(
しんにょご
)
は品よく柔らかい魅力があるとともに、源氏が大きな背景を作って
源氏物語:17 絵合
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
東宮におなりになったのは第一親王である。この結果を見て、あれほどの御愛子でもやはり太子にはおできにならないのだと世間も言い、
弘徽殿
(
こきでん
)
の
女御
(
にょご
)
も安心した。
源氏物語:01 桐壺
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
弘徽殿
(
こきでん
)
の月夜に聞いたのと同じ声である。源氏はうれしくてならないのであるが。
源氏物語:08 花宴
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
前
(
さき
)
の
弘徽殿
(
こきでん
)
の
女御
(
にょご
)
である新皇太后はねたましく
思召
(
おぼしめ
)
すのか、院へはおいでにならずに当帝の御所にばかり行っておいでになったから、いどみかかる競争者もなくて中宮はお気楽に見えた。
源氏物語:09 葵
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
などと言って、右大臣の娘の
弘徽殿
(
こきでん
)
の
女御
(
にょご
)
などは今さえも嫉妬を捨てなかった。
源氏物語:01 桐壺
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
御所には
中宮
(
ちゅうぐう
)
が特殊な尊貴な存在でいらっしゃいますし、また
弘徽殿
(
こきでん
)
の
女御
(
にょご
)
という
寵姫
(
ちょうき
)
もおありになるのですから、どんなにお気に入りましてもそのお二方並みにはなれないことでしょう。
源氏物語:30 藤袴
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
中納言の姫君は
弘徽殿
(
こきでん
)
の
女御
(
にょご
)
と呼ばれていた。太政大臣の
猶子
(
ゆうし
)
になっていて、その一族がすばらしい背景を作っているはなやかな後宮人であった。陛下もよいお遊び相手のように思召された。
源氏物語:14 澪標
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
思いがけぬことの行なわれたについても、
藤壺
(
ふじつぼ
)
にはいつもああした
隙
(
すき
)
がないと、昨夜の
弘徽殿
(
こきでん
)
のつけこみやすかったことと比較して
主人
(
あるじ
)
の女御にいくぶんの
軽蔑
(
けいべつ
)
の念が起こらないでもなかった。
源氏物語:08 花宴
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
弘徽殿
(
こきでん
)
あたりで言う
詛
(
のろ
)
いの言葉が伝えられている時に自分が死んでしまってはみじめな者として笑われるばかりであるから、とそうお思いになった時からつとめて今は死ぬまいと強くおなりになって
源氏物語:07 紅葉賀
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
“弘徽殿”の解説
弘徽殿(こきでん)とは、平安御所の後宮の七殿五舎のうちの一つ。転じて、弘徽殿を賜った后妃の称としても使われる。後者で女御の場合は「弘徽殿女御(こきでんのにょうご)」とも呼ぶ。
(出典:Wikipedia)
弘
漢検準1級
部首:⼸
5画
徽
漢検準1級
部首:⼻
17画
殿
常用漢字
中学
部首:⽎
13画
“弘徽”で始まる語句
弘徽