“梅壺”の読み方と例文
読み方 | 割合 |
---|---|
うめつぼ | 100.0% |
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
そのほうを助ける人たちは言って、三女御の競争になったのであるが、結局梅壺の前斎宮が后におなりになった。
“梅壺(凝花舎)”の解説
凝花舎(ぎょうかしゃ)とは、平安御所の後宮の七殿五舎のうちの一つ。女御などが居住した他、清涼殿に近いことからしばしば東宮御所や摂政・関白の直廬(詰め所)ともされた。
庭に紅白の梅が植えてあったところから、梅壺(うめつぼ)ともいう。清涼殿からは北西。飛香舎(藤壺)の北。襲芳舎(雷鳴壷)の南。
凝花舎を賜っていた内で最も有名なのは、円融天皇の女御で、一条天皇の母である東三条院詮子(藤原兼家女)である。
その他に凝花舎を賜っていたのが知られるのは、
後朱雀天皇女御・藤原生子(藤原教通女)
後三条天皇女御・源基子(源基平女)
後白河天皇女御・三条琮子
(出典:Wikipedia)
庭に紅白の梅が植えてあったところから、梅壺(うめつぼ)ともいう。清涼殿からは北西。飛香舎(藤壺)の北。襲芳舎(雷鳴壷)の南。
凝花舎を賜っていた内で最も有名なのは、円融天皇の女御で、一条天皇の母である東三条院詮子(藤原兼家女)である。
その他に凝花舎を賜っていたのが知られるのは、
(出典:Wikipedia)