延暦寺えんりゃくじ)” の例文
かおるは山の延暦寺えんりゃくじに着いて、常のとおりに経巻と仏像の供養を営んだ。横川よかわの寺へは翌日行ったのであるが、僧都そうずは大将の親しい来駕らいがを喜んで迎えた。
源氏物語:56 夢の浮橋 (新字新仮名) / 紫式部(著)
比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじの山法師、興福寺の奈良法師、所謂いわゆる僧兵の兇暴きょうぼうぶりは周知のとおりであり、事毎に争乱の渦中かちゅうにあった。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
「法皇には、昨夜おそく、ひそかに院を忍び出られ、鞍馬より横川よかわを経て、義仲の陣営にあてられている延暦寺えんりゃくじ御幸みゆきあそばされてしもうたらしい」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
無我夢中に暴れ廻った延暦寺えんりゃくじの僧侶達の顔と一緒になって、しばらくは友人たちの顔が彼の脳中を去らなかった。
比叡 (新字新仮名) / 横光利一(著)
それも順序が決っていて、第一が、奈良東大寺ならとうだいじ、次が興福寺こうふくじ延暦寺えんりゃくじという順で、代々守られてきたのである。
薨去こうきょの年の夏、或る月の明かな夜、五更ごこうが過ぎて天がまだ全く明けきらない頃、延暦寺えんりゃくじ第十三世の座主ざす法性房ほっしょうぼう尊意そんいが四明が嶽の頂に於いて三密さんみつの観想をらしている時であった。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「やはり延暦寺えんりゃくじの区域だね。広い山の中に、あすこにかたまり、ここに一と塊まりと坊がかたまっているから、まあこれを三つに分けて東塔とか西塔とか云うのだと思えば間違はない」
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ほとんどすべての大本山がここに集ります。浄土宗の知恩院ちおんいん百万遍ひゃくまんべん真言しんごん宗の東寺とうじ智積院ちしゃくいん、真宗の両本願寺ほんがんじ、禅宗の南禅寺なんぜんじ妙心寺みょうしんじ大徳寺だいとくじ、時宗の歓喜光寺かんきこうじ、天台宗の妙法院みょうほういん延暦寺えんりゃくじ
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
京都叡山えいざん延暦寺えんりゃくじを以て海内第一の霊場と独り決めに決めている程、狂的に近い信仰を捧げていたために、大阪城代に就任するや間もなく比叡山から、内密の献金四万両の調達方を頼みこまれて
延暦寺えんりゃくじ座主ざすのほかに戒師を勤める僧が三人参っていて、法服に召し替えられる時、この世と絶縁をあそばされる儀式の時、それは皆悲しいきわみのことであった。
源氏物語:34 若菜(上) (新字新仮名) / 紫式部(著)
「一禅寺ぜんでらに、暦応の年号をうたうなども、以てのほかな僭上だ。ゆらい年号を寺名にかんする寺は、国家第一の比叡山延暦寺えんりゃくじのごとき勅願寺のほかは、ゆるさるべきものではない」
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いまはめたが、検非違使けびいしをしていたみなもと為義ためよし。知ってるだろう。大治たいじ五年、あの人が、延暦寺えんりゃくじ堂衆どうしゅうの鎮圧にのり出したとき、四白の栗毛くりげにのっていた。相模栗毛さがみくりげとよんで、人も知るかれの愛馬だ。
(白山の僧が、神輿しんよをかついで、延暦寺えんりゃくじへ押しかけたそうな)
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
遊軍、山徒さんとの僧兵千余人 延暦寺えんりゃくじノ僧、道場坊宥覚ゆうかく
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「中堂延暦寺えんりゃくじの衆判により申しわたす」
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)