奇体きたい)” の例文
旧字:奇體
所がその儘、車が動き出して、とつつきの横丁を左へ曲つたと思ふと、突然歌舞練場かぶれんぢやうの前へ出てしまったから奇体きたいである。
京都日記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
それからゆっくり、こしからたばこ入れをとって、きせるをくわいて、ぱくぱくけむりをふきだした。奇体きたいだと思っていたら、またはらかけから、何か出した。
さいかち淵 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
明治十六年に初めて札幌から山男になって東京に出てきました。その時分に東京には奇体きたいな現象があって、それを名づけてリバイバルというたのです。
後世への最大遺物 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
えたあとなどは一杯飲んで寝ると、奇体きたいに小便に起きないから、まあやって御覧なさい」
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それが、かの女には、奇体きたいに快くもあった。それでも、二、三度首をまげて、うしろを見たりした。山の側には、もうすっかり夜が這って、海にだけうすい白光が揺らいでいた。
あの顔 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「や、こいつは奇体きたいだ、樋口君、どこから買って来たのだ、こいつはおもしろい」
あの時分 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
なあお子供衆のお腰に下げておおきやすと奇体きたいに虫除けになりますそうでなあ方々からくれくれ言やはりますので皆あげてしまいましてなあもうこれだけより残っとりませんけれど——どうぞお持ちやして
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
どうしてこんな奇体きたいな名前がついたのか、それをいちばんはじめから、すっかり知っているものは、おれ一人だと黒坂森のまんなかのおおきないわが、ある日
狼森と笊森、盗森 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
広い都を根拠地として考えている私は、父や母から見ると、まるで足を空に向けて歩く奇体きたいな人間に異ならなかった。私の方でも、実際そういう人間のような気持を折々起した。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
世にも奇体きたいな名のない男!
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
かわへ出ている広い泥岩の露出で奇体きたいなギザギザのあるくるみの化石かせきだの赤い高師小僧たかしこぞうだのたくさんひろった。
或る農学生の日誌 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
ところが奇体きたいなことは、斯う云ったとき、又三郎が又にわかによろこんで笑い出したのです。
風野又三郎 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
ずいぶん豚というものは、奇体きたいなことになっている。水やスリッパやわらをたべて、それをいちばん上等な、脂肪や肉にこしらえる。豚のからだはまあたとえば生きた一つの触媒しょくばいだ。
フランドン農学校の豚 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
火がえるときはほのおをつくる。焔というものはよく見ていると奇体きたいなものだ。それはいつでもうごいている。動いているがやっぱり形もきまっている。その色はずいぶんさまざまだ。
そのまっ赤なのくまが、じつに奇体きたいに見えました。よほど年老としよりらしいのでした。
かしわばやしの夜 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
すると奇体きたいなことは木樵はみちを歩いていると思いながらだんだん谷地の中にみ込んで来るようでした。それからびっくりしたように足が早くなり顔も青ざめて口をあいて息をしました。
土神ときつね (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
ところが五本のチェリーの中で、一本だけは奇体きたいに黄いろなんだろう。そして大へん光るのだ。ギザギザの青黒い葉の間から、まばゆいくらい黄いろなトマトがのぞいているのは立派だった。
黄いろのトマト (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
「あすこへ行ってる。ずいぶん奇体きたいだねえ。きっとまた鳥をつかまえるとこだねえ。汽車が走って行かないうちに、早く鳥がおりるといいな。」と云った途端とたん、がらんとした桔梗ききょういろの空から
銀河鉄道の夜 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
「あすこへ行ってる。ずいぶん奇体きたいだねえ。きっとまた鳥をつかまえるとこだねえ。汽車が走って行かないうちに、早く鳥がおりるといいな」とったとたん、がらんとした桔梗ききょういろの空から
銀河鉄道の夜 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
蛋白石のいいのなら、流紋玻璃りゅうもんはりを探せばいい。探してやろう。ぼくは実際、一ぺんさがしに出かけたら、きっともう足が宝石のある所へ向くんだよ。そして宝石のある山へ行くと、奇体きたいに足が動かない。
楢ノ木大学士の野宿 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
するとその奇体きたいな男はいよいよにやにやしてしまいました。
どんぐりと山猫 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
又三郎などもはじめこそはほんとうにめずらしく奇体きたいだったのですがだんだんなれて見ると割合ありふれたことになってしまってまるで東京からふいに田舎いなかの学校へ移って来た友だちぐらいにしか思われなくなって来たのです。
風野又三郎 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
奇体きたいだな。」と云いました。
十月の末 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)