去来きょらい)” の例文
旧字:去來
支考しこう乙州いっしゅうら、去来きょらいに何かささやきければ、去来心得て、病床の機嫌きげんをはからい申していう。古来より鴻名こうめい宗師そうし、多く大期たいご辞世じせい有り。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
が、中でもっとも頓知というようなことに遠かった人は去来きょらいのように考えられます。この人の俳句を見るといかにも愚鈍らしいところがみえます。
俳句の作りよう (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
荒天の雲のように、不安と勝気と、また焦躁と剛胆とが、去来きょらいしぬいていた風である。が、颯然さつぜんとその心は窓が開いた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
去来きょらい丈草じょうそうもその人にあらざりき。其角きかく嵐雪らんせつもその人にあらざりき。五色墨ごしきずみの徒もとよりこれを知らず。新虚栗しんみなしぐりの時何者をかつかまんとして得るところあらず。
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
および正月の年の神の去来きょらいについて、特に卯の日を重視するふうは、現在もなお到る処に残っている。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
と思うと、どこか家畜のような所のある晴々はればれした眼の中にも、絶えず落ち着かない光が去来きょらいした。
毛利先生 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
西鶴の面目は唯その文の軽妙なるに留っている。元禄時代にあって俳諧をつくる者は皆名文家である。芭蕉とその門人去来きょらい東花坊とうかぼうの如き皆然りで、ひとり西鶴のみではない。
正宗谷崎両氏の批評に答う (新字新仮名) / 永井荷風(著)
去来きょらいがいわく、除夜より元朝掛けて鼠の事を嫁が君というにや、本説は知れずとぞ、今按ずるに年の始めには万事祝詞を述べはべる物にしあれば、寝起きといえることばを忌みはばかりてイネツム
去来きょらいだ。苦笑を禁じ得ない。さぞや苦労をして作り出した句であろう。去来は真面目まじめな人である。しゃれた人ではない。けれども、野暮やぼな人は、とかく、しゃれた事をしてみたがるものである。
天狗 (新字新仮名) / 太宰治(著)
駒が岳のよく見える処で、三脚をえて、十八九の青年が水彩写生すいさいしゃせいをして居た。駒が岳に雲が去来きょらいして、沼の水も林も倏忽たちまちの中にかげったり、照ったり、見るに面白く、写生に困難らしく思われた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
最後にもう一つ「猿蓑さるみの」で芭蕉去来きょらい凡兆ぼんちょう三重奏トリオを取ってみる。
連句雑俎 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
有名な「灰汁桶あくおけ」の連句の中に、去来きょらい
かぶらずし (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
という説を主張していることは前章に述べた通りでありますが、それと全然反対なのは去来きょらいであります。
俳句の作りよう (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
さて京の方はというと、去来きょらいという大たて者がいて、いつも其角とにらみあって居るので、この二人が東西の両大関になって居るです。しかし去来には風国ふうこく野明やめい位より外に弟子がない。
俳句上の京と江戸 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
の次に去来きょらいの傑作
映画時代 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
しかもその非凡の才識も積極的美の半面はこれを開くに及ばずしてきぬ。けだし天は俳諧の名誉を芭蕉の専有に帰せしめずして更に他の偉人を待ちしにやあらん。去来きょらい丈草じょうそうもその人にあらざりき。
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
およそ天下に去来きょらいほどの小さき墓に参りけり
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
とびの羽もかいつくろひぬ初しぐれ 去来きょらい
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
動くとも見えで畑打つ麓かな 去来きょらい
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
二番ぐさ取りも果さず穂にいでて 去来きょらい
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
冬枯の木の間尋ねん売屋敷 去来きょらい
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)