一掬いっきく)” の例文
一掬いっきくの涙を催さしめるが、しかし隼人正の生涯については諸書の所伝がまち/\であって、必ずしも豊内記の説くところと一致しない。
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
一刻もはやくここは去るべき場合とは知りながら、又四郎は、あわれと、それに一掬いっきくなみだをそそいでやらずにいられなかったらしいのである。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
必ず一掬いっきく同情の涙にむせぶべきなれど、葉石はそもこれを何とか見るらん、思えば法廷にて彼に面会することの気の毒さよ。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
花に言わすれば、まこと迷惑至極めいわくしごくかこつであろう。花のために、一掬いっきくの涙があってもよいではないか。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
雪江さんはげんここに至って感にえざるもののごとく、潸然さんぜんとして一掬いっきくなんだを紫のはかまの上に落した。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ふるき代の富貴ふうき栄耀えようの日ごとにこぼたれ焼かれて参るのを見るにつけ、一掬いっきく哀惜の涙をとどめえぬそのひまには、おのずからこの無慚むざんな乱れをべる底の力が見きわめたい
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
と、彼のからだは、わがてのひらの水の中へ、頭を先にするりとばかりすべりこみ、そこにあふれるただ一掬いっきくの水となり、せせらぎへ、ばちゃりと落ちて、流れてしまった。
紫大納言 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
わがいのちを断って見せるよりほかには意志表示の仕方を知らぬ怜悧れいりなるがゆえに、慈愛ふかきがゆえに、一掬いっきくの清水ほど弱い、これら一むれの青年を、ふびんに思うよ。
狂言の神 (新字新仮名) / 太宰治(著)
筆者は薄幸なりし彼女の半生に一掬いっきくの涙をそゝぐにとゞまって、敢て彼女を責めようとはせぬ。
支倉事件 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
一掬いっきくの水の大海より多きことあり、この理を知るや、と天神の例の如くに難問を下すに、例のごとく王らはまた答へをし得で困りけれど、彼大臣は例のごとく老父のおしえを得て
印度の古話 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
人の世のあじきなさ、しみじみと骨にもとおるばかりなり。もし妾のために同情の一掬いっきくそそがるるものあらば、そはまた世の不幸なる人ならずばあらじ。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
我が子の腕にある平中の歌に一掬いっきくの涙を惜しまなかった母は、父と云うものをどう思っていたのであろうか、滋幹はついぞ母からそれを聞かされたことはなかった。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
ふるき代の富貴ふうき栄耀えようの日ごとにこぼたれ焼かれて参るのを見るにつけ、一掬いっきく哀惜の涙をとどめえぬそのひまには、おのづからこの無慚むざんな乱れをべる底の力が見きはめたい
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
この島の名を有名にさせ、武蔵のためにやぶれてあえなく若い偉材をこの一小島に埋めた佐々木小次郎に——一掬いっきくの涙をそそいで墓石を建てた古人は、いったい誰だったか。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
世ニモ不幸ナ人ガアレバアルモノダト思ッテアナタノタメニ一掬いっきくノ涙ナキヲ得マセン。
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
一挙に速戦即決を迫らんとしていたのが、ついにその事の半ばに、敵甲軍の盛返すところとなったので、謙信の悲壮極まる覚悟のほどを思いやれば、彼の遺恨いこんに対して一掬いっきくの悲涙なきを得ない。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)