一幅いっぷく)” の例文
とこには遊女の立姿たちすがたかきし墨絵の一幅いっぷくいつ見ても掛けかへられし事なく、その前に据ゑたる机は一閑張いっかんばりの極めて粗末なるものにて
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
言うかと思うと、一幅いっぷくの書がどこからとも知れずに軒下へ舞い落ちた。それは筆をもって書いたもので、字画じかくも整然と読まれた。
崋山が発見したという逸話を掻抓かいつまんでいうならば、或る時、崋山が四谷辺を通って、ふと一古物商の奥を見ると、一幅いっぷくの図が展じてある。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
赤い丸い月が出て居る有様を朱肉で丸印がしてあるものとして、一行の雁字と共に一幅いっぷくを成して居るかのやうにしやれて見たのであらう。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
一幅いっぷくずつの掛物を持参して床の間へ吊し一同に披露して、又、別の掛物をとりに行く、名画が一同を楽しませることを自分の喜びとしているのである。
日本文化私観 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
あるものは足を吊られて、さかさまに噴気孔に下げられている。それは一幅いっぷく凄惨せいさんな地獄絵図でなくて何であろう。
雲仙岳 (新字新仮名) / 菊池幽芳(著)
墓地を出て両側のくぼみにきのこえていそうな日蔭ひかげの坂道にかかると、坂下から一幅いっぷくの冷たい風が吹き上げて来た。
かの女の朝 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
桔梗ききょう、萩、女郎花おみなえし一幅いっぷくの花野が水とともに床に流れ、露を縫った銀糸の照る、いろある女帯が目を打つと同時に、銑吉は宙を飛んで、階段を下へね落ちた。
神鷺之巻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
春には寒い——日本の弥生宵節句やよいよいぜっくには、すこしドッシリした調子の一幅いっぷくの北欧風の名画があったともいえようし、立派な芝居の一場面が展開されるところともいえもしよう形容を
江木欣々女史 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
この時、私の頭にはふと一幅いっぷくの神異的な書面が思い浮んで来たものである。紺青こんじょう色の空に一輪の金色こんじきまるい月が出てその下は海岸の沙地すなちで、一面に見渡すかぎり清々とした西瓜すいかが植っている。
故郷 (新字新仮名) / 魯迅(著)
で、折れかかった板橋をまたいで、さっと銀をよないだ一幅いっぷくながれなぎさへ出ました。川というより色紙形の湖です。一等、水の綺麗な場所でな。居士が言いましたよ。
半島一奇抄 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
一、美は比較的なり、絶対的にあらず。ゆえに一首の詩、一幅いっぷくの画をとって美不美を言ふべからず。もしこれを言ふ時は胸裡きょうりに記憶したる幾多の詩画を取て暗々あんあんに比較して言ふのみ。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
一笑してから、ふと後ろの床を振り向いて、壁間の一幅いっぷくを飽かず見つめ出した。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あとで聞くと、小児心こどもごころにもあまりのうれしさに、この一幅いっぷくの春の海に対して、報恩ほうおんこころざしであったという。
春昼後刻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ここに繰返してまた単に一幅いっぷくわが県全市の図は、七色を以てなどりて彩られ候やうなるおもひの、筆ればこの紙面しめんにも浮びてありありと見え候。いかに貴下、さやうに候はずや。
凱旋祭 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)