“へいし”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
瓶子37.5%
兵士33.3%
斃死13.9%
平氏6.9%
丙子1.4%
平士1.4%
瓶史1.4%
瓶手1.4%
萍子1.4%
閉止1.4%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
「わるいことをいうな。けだし国音家令かれいかれいに通ずればなりか。瓶子へいし平氏へいしに通じ、醋甕すがめすがめに通ず。おもしろい。ハッハハハハ」
苦心の学友 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
御前ごぜんつてゐました、左右さいうから二人ふたり兵士へいし護衞ごゑいされて、王樣わうさまのおそばには、片手かたて喇叭らつぱ片手かたて羊皮紙やうひし卷物まきものつた白兎しろうさぎました。
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
やにわに斃死へいしせしむるのだったという(ブラウン『俗説弁惑プセウドドキシア・エピデミカ』三巻七章、スコッファーン『科学俚俗学拾葉ストレイ・リープ・オヴ・サイエンス・エンド・フォークロール』三四二頁以下)。
ところが、将軍職名は、頼朝よりともこのかた、源系げんけいの者に限るような慣例になっている。秀吉は信長の家臣として、平氏へいしとなえていたので工合が悪い。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
行状に拠るに、初代瑞仙独美は享保二十年乙卯いつぼう五月二十二日に生れ、文化十三年丙子へいし九月六日に歿した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
かつ先例をあんずるに、歯科医佐藤春益しゅんえきの子は、単に幼くして家督したために、平士へいしにせられている。いわんや成善は分明ぶんめいに儒職にさえ就いているのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
花生はないけは日々坐右におき、いまに草花たえずいけ申候。活花は袁中郎ゑんちゆうらう瓶史へいしにより候。御一笑可被下候。これよりも又備前やき陶尊たうそん一つ進申候。これまた案左あんさにて御插可被下候。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
眞正面に据ゑてある八足臺やつあしだいの上に注がれて、木の間を漏るゝ星明りに映し出されたすゞ神酒みき瓶手へいしが一つゐ、母を引き寄せるやうにして立つてゐた。
石川五右衛門の生立 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
萍子へいし招宴、三宜楼。
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
御仁恕ごじんじょをもって、念仏門閉止へいしのお罰は、ひとえにお寛大を賜わりますよう、わけても師の上人は、ここ年来、病弱、つ、専念御行状をも慎まれている折でもありまするし
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)