“里余(りよ)” の例文
これよりして、子(ね)の口(くち)までの三里余(りよ)は、たゞ天地(てんち)を綾(あや)に貫(つらぬ)いた、樹(き)と巌(いは)と石(いし)と流(ながれ)の洞窟(どうくつ)と言(い)つて可(よ)い。雲(くも)晴(は)れても、雨(あめ)は不断(ふだん)に降(ふ)るであらう。
十和田湖 (新字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
玉川に遊ぶ者は、路(みち)世田が谷村を経(へ)ん。東京城の西、青山街道を行く里余(りよ)、平岡逶迤(いい)として起伏し、碧蕪(へきぶ)疎林(そりん)その間を点綴(てんてい)し、鶏犬の声相聞う。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
身分こそ五両三人扶持の徒士(かち)にすぎなかったが、主家没落の際は、赤穂城から里余(りよ)の煙硝蔵に出張していて、籠城(ろうじょう)殉死(じゅんし)の列に漏(も)れたというので、それと聞くや、取る物も取りあえず城下へ駈けつけて
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
「船(ふね)さ出(で)れば乗(の)るのですがな、都合(つがふ)さ悪(わる)ければ休屋(やすみや)まで歩行(ある)きますかな。月(つき)がありますで、或(あるひ)は陸路(りくろ)を子(ね)の口(くち)へ帰(かへ)るですわい。」合(あ)はせて六里余(りよ)、あの磽确(げうかく)たる樵路(きこりぢ)を、連(つれ)もなく、と思(おも)ふと
十和田湖 (新字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)