遷都せんと)” の例文
この遷都せんとは、しかし、今日こんにち吾人ごじんかんがへるやうな手重ておもなものでなく、一をくだい慣習くわんしふによつて、轉轉てん/\近所きんじよへお引越ひきこしになつたのである。
日本建築の発達と地震 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
「あの家には、古来から名剣宝珠が多く伝わっているとは聞いたが、洛陽から遷都せんとして来た後も、まだこんな佳品があったのか」
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
○二十余年前震災で東京が焼原になった時、誰が言出したのかしきり遷都せんとの説が伝えられた。これを聞いてわたくしは心ひそかによろこんでいた。
仮寐の夢 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
持統天皇は藤原遷都せんとによってこの勢力との絶縁を志して果し得ず、奈良の遷都によって始めて絶縁に成功した。
道鏡 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
一新いつしんはじめ、大久保公遷都せんとけんじて曰ふ、官軍已につと雖、東賊とうぞく猶未だほろびず、宜しく非常ひじやうだんを以て非常の事を行ふべしと。先見の明と謂ふ可し。
その後元明天皇平城京遷都せんととともに現存の地に移されたが、旧都の伽藍をそのまま移動せしめたのではない。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
そこで遷都せんとと共に労働のなくなった里人達はその頃のことですから失業問題を起すでもなく、この見物客を目的に興福寺や東大寺の周囲に巣を食いましたが
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
ゆえに、都をかの地へおうつしあるように望みます。——すでに、遷都せんと儀仗ぎじょう御車みくるまも万端、準備はととのっておりますから
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
元明げんめい天皇平城京に遷都せんとされてより、興福寺、元興寺がんごうじ、薬師寺、大安寺等が次々と建立され、聖武天皇の御代にいたってつい宏大こうだい無双の東大寺が創建される等
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
をくたい主義しゆぎ慣習くわんしふもつと雄辯ゆうべん説明せつめいするものゝ一はすなは歴代れきだい遷都せんと史實しじつである。
日本建築の発達と地震 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
万世の業礎ぎょうそを固められようとするなら、ぜひ遷都せんとを実現されるように。これこそいま終りに臨んでなす最後のご恩報じの一言であると結んであった。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
薬師寺はもと大和高市郡たけいちのこおり岡本郷に草創された天武てんむ天皇勅願のみ寺であるが、その後、元明げんめい天皇平城遷都せんとさるるに伴い、いまの右京六条の地に移されたのだという。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
遷都せんと以後、日をるに従って、長安の都は、おいおいに王城街の繁華を呈し、秩序も大いにあらたまって来た。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
以仁王と頼政の宇治川のやぶれ。また、清盛の福原遷都せんとの決行などで、ひとまず平家や都の方は筆を休め、伊豆に移って、頼朝の旗挙げが、ここ数回のテーマになる。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「往年、長安からご遷都せんとのみぎり、不肖、身をもって賊徒を防ぎ奉った功労を、時に思し召されて」
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なぜ入道が、福原へ遷都せんとするのがいいと考えたかといえば、彼にとって、実に、誰よりもこわい——そして苦手でもある、公卿たちが、ややもすれば三井寺や奈良などの僧団の勢力とむすびついて
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「今日、宮中において、遷都せんとのご内定があったかに承りますが」
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(いっその事、福原へ遷都せんとすればすべてにいい)
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)