豊臣とよとみ)” の例文
旧字:豐臣
「大きにそうでがしょう。あっしもおおよその見当がつきやしたが、察するにあの七人のやつは、豊臣とよとみの残党じゃごわせんかい」
北国から帰るとすぐ、また菊亭晴季はるすえはかって、豊臣とよとみという新姓氏しんせいしをたて、朝廷にうて、以後、豊臣秀吉と称することになった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
およそ古今の革命かくめいには必ず非常の惨毒さんどくを流すの常にして、豊臣とよとみ氏の末路まつろのごとき人をして酸鼻さんびえざらしむるものあり。
秀忠ひでただと祖父家康いえやすの素志を継いで、一つにはまだ徳川とくがわの天下が織田おだ豊臣とよとみのように栄枯盛衰の例にもれず、一時的で
豊臣とよとみ秀吉ひでよしや〔徳川とくがわ家康いえやすの如きはその人格の果して如何いかなる人で在ったかは、今日未だ断定することは出来ない。
青年の新活動方面 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
いかんとなれば昔の英雄は国利民福を主とせずして自己の利害のみを主としたからです、豊臣とよとみが諸侯を征した。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
猫間犬丸と名をいつわり、どんなてがらでもたてて将軍家光にちかづき、ほろびうせた豊臣とよとみ家のため、また祖父団右ヱ門のため、ひと太刀うらもうとしたにそういござらぬ。
幻術天魔太郎 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
北条ほうじょう足利あしかがをはじめ、織田おだ豊臣とよとみ、徳川なぞの武門のことはあからさまに書かれてないまでも、すこし注意してこれを読むほどの人で、この国の過去におもいいたらないものはなかろう。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
こうして魔神宗介様は多数の眷族けんぞくを従えられ、いよいよ益〻ますます人間に向かって惨害をお下しなされるうち、世はややおさまって信長のぶなが時代となりさらに豊臣とよとみ時代となりとうとう徳川時代となった。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
それにはわたくしは『足利あしかが武鑑』、『織田おだ武鑑』、『豊臣とよとみ武鑑』というような、後の人のレコンストリュクションによって作られた書を最初に除く。次に『群書類従ぐんしょるいじゅう』にあるような分限帳ぶんげんちょうの類を除く。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
豊臣とよとみ秀吉などが、ここの寺製てらづくりの酒を賞美して、諸侯のあいだにも「天野酒」といって知れ渡っているので、秀吉の亡き後は、その余風もだいぶすたっていたが
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すなわち半蔵門外の貝塚かいづかに鎮座ましましていたのですが、時代は徳川お三代の名君家光公のご時世であり、島原以来の切支きりしたん宗徒しゅうとも、長いこと気にかかっていた豊臣とよとみの残党も
大軍が悠々ゆうゆう閑日月かんじつげつを送る地は豊臣とよとみ氏の恩沢を慕うところの大坂である。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
それはまた一般が、豊臣とよとみ中心を見すてて、徳川の治下を慕ってくるような人気のようにも見えた。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ことに懸念したのは豊臣とよとみの残党で、それを口火に徳川へ恨みを持っている豊家ゆかりの大名たちが、いちどきに謀叛むほんを起こしはしないだろうかという不安から奥州は仙台せんだい伊達だて一家
たとえば日本における豊臣とよとみ秀吉の如きは、犀眼さいがん、鋭意、時に厳酷でもあり、烈しくもあり、鋭くもあり、抜け目もない英雄であるが、どこか一方に、開け放しなところがある。
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ちくしょう? じゃ、豊臣とよとみがたの犬も同然じゃごわせんか。おっかねえべっぴんに、またおまんまのお給仕までもしてもらったもんだね。ようがす、あっしがだんなの代わりに、料ってやりましょう」
天下の者は豊臣とよとみ徳川とくがわ北条ほうじょう柴田しばたのともがらあるを知って、武田菱たけだびしはたじるしを、とうの昔にわすれているが——いやじぶんもそうだったが——こいつは大きな見当けんとうちがい、あの麒麟児きりんじ
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
自ら戦後の経綸けいりんと大策に当たり、豊臣とよとみ文化の旧態を、根本からあらためにかかっている徳川家康の勢威と——その二つの文化の潮流が、たとえば、河の中を往来している船にも、おかをゆく男女の風俗にも
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)