葺屋町ふきやちょう)” の例文
すると丁度その辺は去年の十月火災にかかった堺町さかいちょう葺屋町ふきやちょう替地かえちになった処とて、ここに新しい芝居町しばいまちは早くも七分通しちぶどおり普請を終えた有様である。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
家に伝わった俳名三升さんしょう白猿はくえんの外に、夜雨庵やうあん、二九亭、寿海老人と号した人で、葺屋町ふきやちょうの芝居茶屋丸屋まるや三右衛門さんえもんの子、五世団十郎の孫である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
葺屋町ふきやちょうの裏に住んでいる音造という奴で、小博奕なんぞを打って、ごろ付いているけちな野郎ですよ」
笠森様かさもりさまにおいでがねえんでこっちへまわってやした始末しまつ。ちっともはやく、葺屋町ふきやちょうっとくンなせえやし
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
ずっと昔、浅草猿若町へ、三座がひけぬ前の、葺屋町ふきやちょう堺町さかいちょうの賑いをとりかえしたかの観を呈した。
わしらが覚えてでも随分……まあ、ほぼ天保から、天保元年の暮でしたか、小伝馬町から大伝馬町、あの辺がすっかり焼けて、葺屋町ふきやちょうの芝居まで焼けたことがございました。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
明日あすは名におう堺町葺屋町ふきやちょうの顔見世、夜のうちから前景気のにぎわいを茶屋で見ようと、雅名を青楼へせず芝居に流した、どのみち、傘雨さんうさん(久保田氏)の選には入りそうもないのが
雪柳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ところがある日葺屋町ふきやちょうの芝居小屋などを徘徊はいかいして、暮方宿へ帰って見ると、求馬は遺書をくわえたまま、もう火のはいった行燈あんどうの前に、刀を腹へ突き立てて、無残な最後を遂げていた。
或敵打の話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
葺屋町ふきやちょうへ入って行くと、向うから坊主頭を光らせながらやって来たのが、浅草茅町あさくさかやちょうに住む一瓢いっぴょうという幇間ほうかん。源内先生の顔を見るより走り寄って来て、いきなり、両手で煽ぎ立てながら
平賀源内捕物帳:萩寺の女 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
すで葺屋町ふきやちょう堺町さかいちょうの両芝居は浅草山あさくさやま宿しゅく辺鄙へんぴへとお取払いになり、また役者市川海老蔵いちかわえびぞうは身分不相応の贅沢ぜいたくきわめたるかどによってこの春より御吟味になった。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
いわゆる三座と称せられた江戸大劇場しばい濫觴らんしょうで(中村座、市村座、山村座。そのうち山村座は、奥女中江島えしまと、俳優生島新五郎いくしましんごろうのことで取りつぶされた)、堺町さかいちょう葺屋町ふきやちょうにあった。
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
ほかの御用を打っちゃって置いても、この槍突きを挙げなければならないというので、詮議に詮議を尽していましたが、そのなかに葺屋町ふきやちょうの七兵衛、後に辻占つじうらの七兵衛といわれた岡っ引がいました。
半七捕物帳:18 槍突き (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
天保十三年浅草山あさくさやま宿しゅくに移転を命ぜられし江戸三座劇場のにぎわいも、また吉原と同じく、広重の名所絵においては最早もはや春朗しゅんろう豊国らの描きし葺屋町ふきやちょう堺町さかいちょうの如き雑沓を見ること能はず。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
しかも天保以後にはその慣例がだんだんに頽れて来た。それと同時に、講談や人情話を脚色することも流行して来た。黙阿弥が二代目新七の頃、仮名垣魯文と共に葺屋町ふきやちょうの寄席へ行ったことがある。
寄席と芝居と (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
葺屋町ふきやちょう炭団たどん伊勢屋という大きい紙屋があります。
半七捕物帳:26 女行者 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)