耶蘇教やそきょう)” の例文
余はこの未信教国みしんきょうこくに生れ余の父母兄弟国人が嫌悪したる耶蘇教やそきょうに入れり、余の始めてこの教をききし頃は全国の信徒二千に満たず
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
次ぎには平生世話になる耶蘇教やそきょう信者しんじゃの家族を招待した。次ぎには畑仕事で始終厄介やっかいになる隣字となりあざの若者等を案内した。今夜は村の婦人連をまねいた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
理想は何人なんぴとでも、きている者は必ずもっている。またこれがその生命である。耶蘇教やそきょうで教えているとおり、「人はパンのみにて生くるものにあらず」。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
それにつけて想い出されるのは、仏教や耶蘇教やそきょうの宗教画の中にも、この絵巻物の中に現われているような不思議な嗜虐性要素のしばしば現われることである。
山中常盤双紙 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
「よろしい。わしは一体耶蘇教やそきょうは大嫌いですが、ほかならんあんたのお頼みとあれば、一つ考えて見ましょう」
黒手組 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
耶蘇教やそきょうで葬式をすると、かえって軽便で神聖でええがな。勝はお経も嫌いだし黒住くろずみのおはらいも嫌いじゃ」
入江のほとり (新字新仮名) / 正宗白鳥(著)
ずっと以前瑞西スイスにいた頃に、回教は亜細亜アジア向きの宗教らしいという話をした人がある。耶蘇教やそきょうは信じてもやがてめるが、回教に入った者は出てこないということを謂った。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
およそ二十きゃくほどの椅子がグルッと円陣をなして置いてあり、その中に、特に立派な背の高い椅子が一つあるが、その前にだけ、これも耶蘇教やそきょうの説教台のような背の高い机が置いてあった。
流線間諜 (新字新仮名) / 海野十三(著)
しかし耶蘇教やそきょうになってはならない。耶蘇教の本を読んで見たが、皆浅はかなもので、仏教の足元にも寄り附けないと云っていた。それで自分なぞにも、不断仏教の難有い事を話して聞せた。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
耶蘇教やそきょうの信者の女房が、しゅキリストと抱かれて寝た夢を見たと言うのを聞いた時の心地こころもちと、回々教フイフイきょう魔神ましんになぐさまれた夢を見たと言うのを聞いた時の心地こころもちとは、きっとそれは違いましょう。
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ここわずか十年ともいわぬうちに、大村、長崎はもとより九州、四国の辺土、また大坂、京都、堺などにかけても、先祖からの仏壇を捨てて、耶蘇教やそきょう帰依きえする者がどれほどあるか底知れませぬ。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その耶蘇教やそきょう僧侶ぼうさんは多分、精神異状者か何かだったのでしょう。
悪魔祈祷書 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
三四郎はまったく耶蘇教やそきょうに縁のない男である。会堂の中はのぞいて見たこともない。前へ立って、建物をながめた。説教の掲示を読んだ。鉄柵てっさくの所を行ったり来たりした。ある時は寄りかかってみた。
三四郎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ヨーロッパでは耶蘇教やそきょうが普及して以来、人生観が一変した。したがって人間の評価ひょうかもまた変わってきた。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
往きに一昼二夜、復えりに一昼夜、皮相ひそう瞥見べっけんした札幌は、七年前に見た札幌とさして相違を見出す事が出来なかった。耶蘇教やそきょう信者が八万の都府とふに八百からあると云う。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
構え持つこと、また耶蘇教やそきょうをひろめる自由を許可してくれということを
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
牡丹燈籠ぼたんどうろうとかの活人形いきにんぎょうはその脇にあり。酒中花しゅちゅうか欠皿かけざらに開いて赤けれども買う人もなくて爺が煙管きせるしきりに煙を吐く。蓄音機今音羽屋おとわやの弁天小僧にして向いの壮士腕をまくって耶蘇教やそきょうを攻撃するあり。
半日ある記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
しかしこの柔和なれとおしうるはひと耶蘇教やそきょうに限ったことでない。道徳とさえいえば、マホメットの回々教フイフイきょうを除き、たいてい柔和にゅうわの徳を主として教えざるものはない。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)