)” の例文
実に正義之人国之元気に御座候間、一人にりくせられ候へば、自ら元気をそこなひ候。自ら元気を戕候へ、性命も随而したがつて滅絶仕候。
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
いづれ參上仕候とくと可申上筈御座候得共、纔なか兩日之御滯留に而、とても罷出候儀不相叶候に付、以書面申上候間、かた/″\御汲取可下候。頓首。
遺牘 (旧字旧仮名) / 西郷隆盛(著)
将は随分と心得も有之ものにて御座候にくみ候程のものにて之無様に被存候、御前(斉興公)之御都合之言に言れぬ事も有之、将之評判無拠よんどころなく請け候儀も有之候
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
一 地理の肝要なる事、不肖今贅するに及ばず、皆しる處にして、頃年其事に識者心を盡さるゝ所の堅こうにし龍動ロンドンの繁昌、巴里斯パリスの美麗人々皆しらざる者なし。
他計甚麽(竹島)雑誌 (旧字旧仮名) / 松浦武四郎(著)
上一段二段の事どもつら/\案ずる所、彼竹島行の事ハ兼而かねて御聞ニ入置候通り、三大夫ニも御聞ニ入レ申セしニ、随分御同心ニ候て、何レ近日二度ビ下関ニ出候決定可致との事なりし。
天智てんじ天皇のみ代だけについて見ても「このとしみずうすを造りかねわかす」とか「はじめ漏剋ろうこくを用う」とか貯水池を築いて「水城みずき」と名づけたとか、「指南車」「水臬みずばかり」のような器械の献上を受けたり
自由画稿 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
花亭の書牘に、「この北条小学纂註を蔵板に新雕しんてういたし候、所望の人も候はば、何部なりとも可被仰下候、よき本に御座候」
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
私も此頃は色〻見聞いたす内、武士だけの事ハ、今ハ日本中ニ格別はぢ申事ハさらに無之候間、御歓可遣候。どふぞ養子が出て来れバ、少しハ武士道において導き可遣候と存候。
今以而いまもつて全快と申には無御座候而ござなくさふらうて、少々麻痺まひ仕候氣味に御座候へ共、老體のこと故、元の通りには所詮しよせんなるまいと、そのまゝ此節は療治もやめ申候」
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
又兼雅兄が御論ニも土佐一国にて学問致し候得バ、一国だけの論(に)いで(世界を)横行すれバ、又夫だけの目を開き、自ら天よりうけ得たる知を開かずバならぬとハ、今に耳ニ残居申候。
「十九日。(九月。)晴。明廿日前知事様方々様かた/″\さま東京御引越おんひきこし御発駕被遊あそばさる。石川御供に而出立に付暇乞に行飲。」
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
此大坂より申来りしハ幕府大目付某が伏見奉行へ申来るにハ、坂本龍馬なるものハ決ぬすみかたりハ致さぬ者なれども、此者がありてハ徳川家の御為にならぬと申て是非殺す様との事のよし。
「八日。陰。午後吉田へ会合。主人、貞白及小島金八郎並にひさし同伴、やまぶね讚岐金刀比羅宮ことひらのみや参詣。夜四時過乗船、夜半出船。尤同日安石より御届取計。」
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
先日江ノ口之人溝渕広之丞に行あひ候、何か咄しいたし申候。
如此申上候へ、私も其事に関係仕候者に右様申上候と御疑も可被為あらせらるべく在奉存候ぞんじたてまつりそろ
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
家説云かせつにいはく、元祿七年十一月廿三日、御能有之おんのうこれあり、公羽衣のシテ被遊あそばさる、御中入之節御樂屋に、紋太夫を御手討に被遊候あそばされそろ、(中略)、御樂屋に有合ありあふ人々八方へ散亂せし内に、清休君一人公の御側おんそばをさらず
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
御刀のぬぐひ御手水おんてうづ一人にて相勤、さて申上けるは、私共愚眛ぐまい、かゝる奸惡之者共不存かんあくのものともぞんぜず入魂じゆつこんに立入仕候段只今に相成重々奉恐入候おそれいりたてまつりそろ思召次第如何樣共御咎仰付可被下置段申上おぼしめししだいいかやうともおんとがめおほせつけくだしおかるべきだんまうしあげける時、公笑はせ玉ひ
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)