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而
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て
ふりがな文庫
“
而
(
て
)” の例文
実に正義之人
者
(
は
)
国之元気に御座候間、一人に
而
(
て
)
も
戮
(
りく
)
せられ候へば、自ら元気を
戕
(
そこなひ
)
候。自ら元気を戕候へ
者
(
ば
)
、性命も
随而
(
したがつて
)
滅絶仕候。
津下四郎左衛門
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
いづれ參上仕候
而
(
て
)
、
得
(
とく
)
と可
二
申上
一
筈御座候得共、纔
中
(
なか
)
兩日之御滯留に而、
迚
(
とて
)
も罷出候儀不
二
相叶
一
候に付、以
二
書面
一
申上候間、
旁
(
かた/″\
)
御汲取可
レ
被
レ
下候。頓首。
遺牘
(旧字旧仮名)
/
西郷隆盛
(著)
将は随分と心得も有之ものにて御座候
而
(
て
)
、
悪
(
にく
)
み候程のものにて之無様に被存候、御前(斉興公)之御都合之言に言れぬ事も有之、将之評判
無拠
(
よんどころなく
)
請け候儀も有之候
南国太平記
(新字新仮名)
/
直木三十五
(著)
一 地理の肝要なる事、不肖今贅するに及ばず、皆しる處にして、頃年其事に識者心を盡さるゝ所の堅
こう
(
甲
)
にし
而
(
て
)
龍動
(
ロンドン
)
の繁昌、
巴里斯
(
パリス
)
の美麗人々皆しらざる者なし。
他計甚麽(竹島)雑誌
(旧字旧仮名)
/
松浦武四郎
(著)
上一段二段の事どもつら/\案ずる所、彼竹島行の事ハ
兼而
(
かねて
)
御聞ニ入置候通り、三大夫ニも御聞ニ入レ申セしニ、随分御同心ニ候て、何レ近日二度ビ
関
(
下関
)
ニ出候
而
(
て
)
決定可
レ
致との事なりし。
手紙:057 慶応三年三月六日 印藤肇あて
(新字旧仮名)
/
坂本竜馬
(著)
▼ もっと見る
天智
(
てんじ
)
天皇のみ代だけについて見ても「
是
(
この
)
歳
(
とし
)
水
(
みず
)
碓
(
うす
)
を造り
而
(
て
)
冶
(
かね
)
※
(
わかす
)
」とか「
始
(
はじめ
)
て
漏剋
(
ろうこく
)
を用う」とか貯水池を築いて「
水城
(
みずき
)
」と名づけたとか、「指南車」「
水臬
(
みずばかり
)
」のような器械の献上を受けたり
自由画稿
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
花亭の書牘に、「この北条小学纂註を蔵板に
新雕
(
しんてう
)
いたし候、所望の人も候はば、何部なりとも可被仰下候、よき本に
而
(
て
)
御座候」
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
私も此頃は色〻見聞いたす内、武士だけの事ハ、今ハ日本中ニ
而
(
て
)
格別はぢ申事ハさらに無
レ
之候間、御歓可
レ
被
レ
遣候。どふぞ養子が出て来れバ、少しハ武士道において導き可
レ
遣候と存候。
手紙:042 慶応二年十二月四日 坂本権平、一同あて
(新字旧仮名)
/
坂本竜馬
(著)
「
今以而
(
いまもつて
)
全快と申には
無御座候而
(
ござなくさふらうて
)
、少々
麻痺
(
まひ
)
仕候氣味に御座候へ共、老體のこと故、元の通りには
所詮
(
しよせん
)
なるまいと、
其
(
その
)
儘
(
まゝ
)
に
而
(
て
)
此節は療治もやめ申候」
寿阿弥の手紙
(旧字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
又兼
而
(
て
)
雅兄が御論ニも土佐一国にて学問致し候得バ、一国だけの論(に)いで(世界を)横行すれバ、又夫だけの目を開き、自ら天よりうけ得たる知を開かずバならぬとハ、今に耳ニ残居申候。
手紙:013 文久三年八月十九日 川原塚茂太郎あて
(新字旧仮名)
/
坂本竜馬
(著)
「十九日。(九月。)晴。明廿日前知事様
方々様
(
かた/″\さま
)
東京
御引越
(
おんひきこし
)
に
而
(
て
)
御発駕
被遊
(
あそばさる
)
。石川御供に而出立に付暇乞に行飲。」
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
此大坂より申来りしハ幕府大目付某が伏見奉行へ申来るにハ、坂本龍馬なるものハ決
而
(
て
)
ぬすみかたりハ致さぬ者なれども、此者がありてハ徳川家の御為にならぬと申て是非殺す様との事のよし。
手紙:042 慶応二年十二月四日 坂本権平、一同あて
(新字旧仮名)
/
坂本竜馬
(著)
「八日。陰。午後吉田へ会合。主人、貞白及小島金八郎並に
尚
(
ひさし
)
同伴、
山
(
やま
)
六
船
(
ぶね
)
に
而
(
て
)
讚岐
金刀比羅宮
(
ことひらのみや
)
参詣。夜四時過乗船、夜半出船。尤同日安石より御届取計。」
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
先日江ノ口之人溝渕広之丞に行あひ候
而
(
て
)
、何か咄しいたし申候。
手紙:042 慶応二年十二月四日 坂本権平、一同あて
(新字旧仮名)
/
坂本竜馬
(著)
如此申上候へ
者
(
ば
)
、私も其事に関係仕候者に
而
(
て
)
右様申上候
哉
(
や
)
と御疑も
可被為
(
あらせらるべく
)
在奉存候
(
ぞんじたてまつりそろ
)
。
津下四郎左衛門
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
家説云
(
かせつにいはく
)
、元祿七年十一月廿三日、
御能有之
(
おんのうこれあり
)
、公羽衣のシテ
被遊
(
あそばさる
)
、御中入之節御樂屋に
而
(
て
)
、紋太夫を御手討に
被遊候
(
あそばされそろ
)
、(中略)、御樂屋に
有合
(
ありあふ
)
人々八方へ散亂せし内に、清休君一人公の
御側
(
おんそば
)
をさらず
寿阿弥の手紙
(旧字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
御刀の
拭
(
ぬぐひ
)
、
御手水
(
おんてうづ
)
一人にて相勤、
扨
(
さて
)
申上けるは、私共
愚眛
(
ぐまい
)
に
而
(
て
)
、かゝる
奸惡之者共不存
(
かんあくのものともぞんぜず
)
、
入魂
(
じゆつこん
)
に立入仕候段只今に相成重々
奉恐入候
(
おそれいりたてまつりそろ
)
、
思召次第如何樣共御咎仰付可被下置段申上
(
おぼしめししだいいかやうともおんとがめおほせつけくだしおかるべきだんまうしあげ
)
ける時、公笑はせ玉ひ
寿阿弥の手紙
(旧字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
“而(而部)”の解説
而部
は、頬髭を意味する漢字の部首。
康熙字典214部首では126番目に置かれる(6画の9番目、未集の9番目)。
(出典:Wikipedia)
而
漢検準1級
部首:⽽
6画
“而”を含む語句
似而非
依而
形而上
形而上学
以而
追而書
従而
而已
兼而
別而
先達而
辛而
形而
似而非者
形而上的
却而
追而
然而
決而
似而
...