竜動ロンドン)” の例文
旧字:龍動
が、授業の模様、旧生徒のうわさ、留学、竜動ロンドン、「たいむす」、はッばァと、すぺんさあー——相変らぬはなしで、おもしろくも何ともない。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
予は唯、竜動ロンドンに在るの日、予が所謂いはゆる薔薇色の未来の中に、来る可き予等の結婚生活を夢想し、以て僅に悶々の情を排せしを語れば足る。
開化の殺人 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
(木の葉のような船は竜動ロンドンに向かい、海洋に送る日月は長かった。人々にはみな倦怠の感が生まれ、指を折ってこの航海の終わりを待っている。)
南半球五万哩 (新字新仮名) / 井上円了(著)
欧洲の政風人情政治上の事については竜動ロンドン巴里パリとうに在留中、色々な人に逢うて色々な事をきいたが、もとよりその事柄の由来を知らぬからわかけもない。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
東京の貧民窟には竜動ロンドン紐育ニューヨークにおいて見るが如き西洋の貧民窟に比較して、同じ悲惨なうちにも何処どことなくいうべからざる静寂の気がひそんでいるように思われる。
昔者むかしはカーライル、弊衣を着、破帽をいたゞいて、一日馬車を竜動ロンドン街頭にる。一市民見て声をあげて笑ふて曰く、かの乞丐かたゐの如くして傲然がうぜん車上にあるは誰ぞ、と。
閑天地 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
竜動ロンドンの月と日本のあだ花と、相並びてわが面前にきたれるを見て、老夫はあわただしくひざまず
金時計 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
(車で竜動ロンドン郊外の地をゆけば、山を遠くみて果てもない。草の色にも春が染めあげるかのようにみえ、青々として広がるのはすべて牧場なのである。)
南半球五万哩 (新字新仮名) / 井上円了(著)
ただ日本を出る時に尋常一様の旅装をしたけで、その当時は物価の安い時だから何もそんなに金のけがない、そのあまった金は皆たずさえて行て竜動ロンドンに逗留中、ほかに買物もない
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
陰晴いんせい定りなき感情の悲天の下に、或は泣き、或は笑ひて、茫々ばうばう数年の年月をけみせしが、予の二十一歳に達するや、予が父は突然予に命じて、遠く家業たる医学を英京竜動ロンドンに学ばしめぬ。
開化の殺人 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
竜動ロンドン繁昌記 竜動の繁栄は実に誇るに足り、伯林ベルリン巴里パリもこれをしのぐことができようか。牛津オックスフォード街の春の月、海土ハイド公園の中の四季の花々もあるのだ。)
西航日録 (新字新仮名) / 井上円了(著)
竜動ロンドン巍々ぎぎたる大廈たいか石室せきしつなり、その市街に来往する肥馬軽車なり、公園の壮麗、寺院の宏大、これを作りてこれを維持するその費用の一部分は、遠く野蛮未開の国土より来りしものならん。
教育の目的 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
(車のあげる塵は日光をさえぎり、石炭の排気は青空をとじこめる。市外より竜動ロンドンの市街を眺めれば、みわたすかぎりぼんやりとして、ただ煙をみるのみ。)
南半球五万哩 (新字新仮名) / 井上円了(著)
福澤等はず役人のような者ではあるが、大名の家来、所謂いわゆる陪臣ばいしんの身分であるから、一行中の一番下席かせき惣人数そうにんず凡そ四十人足らず、いずれも日本服に大小をよこたえて巴里パリ竜動ロンドン闊歩かっぽしたも可笑おかしい。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)