禅寺ぜんでら)” の例文
旧字:禪寺
東森下町には今でも長慶寺という禅寺ぜんでらがある。震災ぜん、境内には芭蕉翁の句碑と、巨賊きょぞく日本左衛門にっぽんざえもんの墓があったので人に知られていた。
深川の散歩 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
天狗てんぐ生活せいかつくらべたら、女人禁制にょにんきんせい禅寺ぜんでら男子禁制だんしきんせい尼寺あまでら生活せいかつでも、まだどんなにも人情味にんじょうみたっぷりなものがありましょう。
実際禅寺ぜんでらぼんさんなどいふものは、お客を小芋こいも煮転にころばし位にしか思つてゐないものなので、それをよく知つてゐる橘仙氏は急に逃げ腰になつた。
「あれは今から一ヶ月ほど前のことだったか、長崎県の或るさびれた禅寺ぜんでらにおいて、土地の人がびっくりしたくらいの盛大な法会ほうえが行われたそうだね」
火薬船 (新字新仮名) / 海野十三(著)
禅寺ぜんでらでは食事のとき、施餓鬼せがきのため飯を一はしずつはちからわきへ取除とりのけておく。これを生飯さばと言うが、臨川寺ではこの生飯を川へ捨てる習慣になっていました。
鯉魚 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
本願寺も在所の者の望みどほりに承諾した。で代々だい/″\清僧せいそうが住職に成つて、丁度禅寺ぜんでらなにかのやう瀟洒さつぱりした大寺たいじで、加之おまけに檀家の無いのが諷経ふぎんや葬式のわづらひが無くて気らくであつた。
蓬生 (新字旧仮名) / 与謝野寛(著)
「一禅寺ぜんでらに、暦応の年号をうたうなども、以てのほかな僭上だ。ゆらい年号を寺名にかんする寺は、国家第一の比叡山延暦寺えんりゃくじのごとき勅願寺のほかは、ゆるさるべきものではない」
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
気のながい、むしろぐずなくらいな乳母うばを捜して与え、五歳になると早速、太虚寺という禅寺ぜんでらへ預けた。といっても坊主にするつもりではない、寺の住持の雪海和尚おしょうに養育を頼んだわけである。
百足ちがい (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
生長するどころではない、その生長のすみやかなる事は禅寺ぜんでらたけのこが若竹に変化する勢で大きくなる。主人はまた大きくなったなと思うたんびに、うしろから追手おってにせまられるような気がしてひやひやする。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
むかし支唐禅師ぜんじといふ坊さんが、行脚あんぎやをして出羽の国へ往つた。そして土地ところ禅寺ぜんでら逗留とうりうしてゐるうち、その寺の後方うしろに大きな椎の木の枯木かれきがあるのを発見めつけた。