祿ろく)” の例文
新字:
と。鮑叔はうしゆくすで管仲くわんちうすすめ、もつこれくだる。((鮑叔ノ))子孫しそんよよせい祿ろくせられ、封邑ほういふたももの餘世よせいつね名大夫めいたいふたり。
武鑑にも出てゐる公儀御時計師廣田利右衞門で、京橋弓町に堂々たる屋敷を構へ、世々五十俵の祿ろくんで立派な士分として遇せられました。
「国に道が行われている時、仕えて祿ろくむのは恥ずべきことではない。しかし、国に道が行われていないのに、その祿を食むのは恥ずべきである。」
現代訳論語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
きいて下されかしもと吾儕それがしは有馬家にて祿ろく五百石を頂戴なし小姓頭をつとめたる大藤武左衞門と云者なるが夫婦ふうふなかに子と言は是なるおみつたゞ一人しかるに妻は七年前
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
氣の強い駒込の長五郎——嫁の親父の、あの祿ろくでもなしも、聟の榮三郎の愁嘆場しうたんばきもを潰して、マアマアと慰め方に廻つたのは、變な圖でしたよ
思ひ出しさても/\如何成事にて斯迄武運ぶうん盡果つきはてたるこの身かな以前は越後家にて五百石の祿ろく頂戴ちやうだいし物頭役をもつとめ大橋文右衞門とも云はれたる武士さふらひが人の金ゆゑ寢ず番を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
武家と言つても、久しい浪人暮しの、主人も祿ろくもない鈴川主水は、町役人や土地の御用聞に立ち合つて貰ひ、一應弟佐野松の死骸の始末をしてゐるのでした。
大岡殿おほをかどの粂之進くめのしん白眼にらまれ其方只今たゞいま公邊かみ祿ろく頂戴ちやうだいし御役をつとめ人の理非りひをもたゞす身の上と云ながらまことの火付盜賊は是なる伊兵衞を差置さしおきとがなき喜八をとらとく吟味ぎんみもなくおくじやう
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
弟を失つた杉之助は、武家としての生活に疑惧ぎぐを生じ、そのまゝ祿ろくを捨てて浪人し、宗方善五郎の隱れ住む江戸に來て、同じ町内の手習師匠などをして、何んとなしに五六年を過しました。