神戸かんべ)” の例文
大和国神戸かんべしょう小柳生城こやぎゅうじょうあるじ、柳生美作守家厳みまさかのかみいえとし嫡男ちゃくなんとして生れ、産れ落ちた嬰児えいじの時から、体はあまり丈夫なほうでなかった。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私の故郷は、伊勢の神戸かんべという小さな城下町ですが、小学校の門を、いっしょにくぐった人たちは、四、五十人もあったでしょう。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
答 神戸かんべ牧師を頼んで何も云わぬと云う事で百円遣り示談にいたしました。神戸の手へ金を渡した月日を覚えません。
支倉事件 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
東京に三田みたあり、摂州せっしゅう三田さんだあり。兵庫の隣に神戸こうべあれば、伊勢の旧城下に神戸かんべあり。俗世界の習慣はとても雅学先生の意に適すべからず。貧民は俗世界の子なり。
小学教育の事 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
父「何、あの鉄道馬車会社の神戸かんべさんのことさ。神戸さんもこのあひだ死んでしまつたな。」
本所両国 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
蠣殻町の住いは手狭で、介抱が行き届くまいと言うので、浜町添邸そえやしき神戸かんべ某方で、三右衛門を引き取るように沙汰さたせられた。これは山本家の遠い親戚しんせきである。妻子はそこへ附き添って往った。
護持院原の敵討 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
彼は、諸国を武者修行して歩いていた当時から、伊勢の内部が、小党分立で、神戸かんべの北畠家を中心に固まっている内容の脆弱ぜいじゃくを見ぬいていた。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それなら妻を呼出していたゞきたい。それから府下中野町のウイリヤムソン師に神戸かんべ牧師を呼んでいただきたい。
支倉事件 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
僕「東京電燈の神戸かんべさんでせう。へええ、神戸さんを知つてゐるんですか?」
本所両国 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
味方の全軍が、わずか一城に懸って、日を過すうちに、神戸かんべ一色いっしきの敵軍が、退路を断って、包囲して来たら何と召さるか
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
然し、無論支倉はしらを切って対手にしなかった。当時支倉が神戸かんべ牧師に宛て送った手紙にその有様が覗かれる。
支倉事件 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
その神戸かんべ信孝、丹羽五郎左衛門、津田信澄などの一軍は信長に先だって、諸般の軍備をととのえ、明朝兵船で住吉からまず阿波あわへ渡ることになっている。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しばらくいくさのなかった伊勢方面は、この間に、秀吉の別動隊が、峰ノ城をおとし、神戸かんべ国府こう浜田はまだの諸城をも乗っ取り、次いで、七日市なのかいちノ城も攻めつぶしていた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
加うるに、大坂表から参加した神戸かんべ信孝、丹羽にわ長秀、蜂屋はちや頼隆の総勢約八千をれたので、総計すると
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長浜をつに先だって、かねて安土にめおいた神戸かんべ殿の質子ちしはみな討ち果したということでおざる。もって、筑前めが、岐阜へ向った決意のほどもうかがわれ申す。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
赤坂の宿場から南平野へ出、やがて神戸かんべの町はずれへ来たその旅人は、相川堤の桜並木に立つと、ふと思い出した山家集さんかしゅうの一首を、小声でひとりごちに歌っていた。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀吉と同行の神戸かんべ信孝はしきりと嘆いたが、それでもこの放火が信雄の手でなされたものでないことが判明してからは、よほどその憤激もなだめられたようである。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
折も折、その信澄は、信長の第三子神戸かんべ信孝や、丹羽にわ長秀などと共に、阿波、中国への出軍のよそおい成って、今しも住吉の浦から兵船に乗ろうとしているところだった。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
せきじょう峰城みねじょう神戸かんべじょう、伊勢路までゆけば、蒲生がもうどのの軍勢もおり、お味方は充満しておる。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
左右すべて彼に慴伏しょうふくし、威風払わざるものはなく、たとえ神戸かんべ三七信孝たりとも、丹羽五郎左衛門長秀たりとも、全軍の指揮者たるその位置には、自然はばからざるを得なかった。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
神戸かんべ殿や北ノ庄殿の立場にもなって見給え。一方は御失意、一方は世上へ間が悪いのだ。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
神戸かんべ三七信孝のぶたかが来てひかえていたのである。信孝は、四国攻めの陣に派遣を命ぜられたので、人数その他のさしずを仰ぎ次第、直ちに出発するつもりで、これへ見えたものだった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここは笠置山かさぎやまの中にあるが、笠置村とはいわない。神戸かんべしょう柳生谷やぎゅうだにといっている。
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀吉は、大恩ある故主信長公の遺子、神戸かんべどのを、自滅させ、今また、信雄のぶおどのへ弓をひき、常に、武門を騒がせ、庶民を禍乱からんに投じ、自己の野望をとぐるために、手段をえらばぬ元兇げんきょうである。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この一城だにおとせば、北伊勢は崩れ、北伊勢を攻めって、一挙、神戸かんべの本城をとり囲めば、神戸御一族は、失礼ながら、網の中から魚を獲るようなものと、作戦着々取りすすめておる次第でござる
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)