甲子きのえね)” の例文
夢の間に軒の花菖蒲はなしょうぶも枯れ、その年の八せんとなれば甲子きのえねまでも降続けて、川の水も赤く濁り、台所の雨も寂しく、味噌もびました。
旧主人 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
むしろこの先とも、お大事を期していただきたいのは、わが君の行動です。来る十一月の二十日は、まさしく甲子きのえねにあたります。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
甲子きのえねを一とし乙丑きのとうしを二とすれば甲戌きのえいぬは十一であり丙子ひのえねは十三になる、少しめんどうなだけに、それだけの長所はあるのである。
自由画稿 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
あぐる程のものならんとおほせありしことなりころ貞享ていきやう甲子きのえね正月廿日こく玉の如くなる御男子ごなんし誕生たんじやうまし/\ければ大納言光貞卿をはじめ一家中いつかちう萬歳まんざい
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
カナシは南の島々では最上の敬称、クヮというのは子または小のコに該当し、旦那は支配階級のことだったらしい。或いはまた甲子きのえねの祭の日には
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
甲子きのえねの火事で親父もおふくろも死んだ、おれが死んでも泣く人間はいねえから、やりたければ遠慮なくやってくれ」
風流太平記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
甲子きのえねより癸亥みづのとゐに至る六十年の氣を序して論じて居るものや、凡そかくの如き所謂運氣論といふものは、皆其時に某氣行はるゝとして信じたる世の論である。
努力論 (旧字旧仮名) / 幸田露伴(著)
おまえも知ってのとおり、花世は甲子きのえねの年の生れ、大黒様のもうのようなやつだから、それで、こうして、いくぶんの義理をたてておる。これだけは見のがしてくれ
千葉之介常胤ちばのすけつねたね舎弟國府こくふろう胤道たねみちの城跡であると申すを、此の国府の台を訛伝なまりつたえて鴻の台と申すのだろうが、たしか永禄の七年甲子きのえねの正月七日八日の戦いは激しかったという
また、周の武王ぶおう甲子きのえねをもって興り、いん紂王ちゅうおうは甲子をもって亡ぶといえる話がある。
迷信解 (新字新仮名) / 井上円了(著)
それ故あるいは今でも同じ甲子きのえねには同じ場所に出て来るかも知れない。
伝通院 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
または月々の農事の少しひまな日に、やはり仲間の家に寄合って神を祭り、夜どおし起きていて、翌朝の日の出を拝んでから別れるもので、土地によっては庚申も甲子きのえね
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
阿島の旗本の家来で国事に心を寄せ、王室の衰えをなげくあまりに脱籍して浪人となり、元治げんじ年代の長州志士らと共に京坂の間を活動した人がある。たまたま元治甲子きのえねの戦さが起こった。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
たとえば甲子きのえねの日曜日は一年に一つあることとないこととあるのである。
自由画稿 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
「十一月二十日は甲子きのえねにあたる。この日にかけて祭すれば、三日三夜のうちに東風たつみが吹き起りましょう。南屏山なんびょうざんの上に七星壇せいだんを築かせて下さい。孔明の一心をもって、かならず天より風を借らん」
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
柴指の次にくる甲子きのえねの日ときまっているようで、すなわち私の次に言おうとする鼠の物忌ものいみの日なのだが、是にもまだ明らかになっておらぬ若干の沿革があったらしく思われる。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
是にもう一つの小さな原因をつけ加えるならば、ドンガを甲子きのえねの日とした前からの慣行が、一段とこの日を鼠のための斎忌さいきの日のように、思わしめることに力があったであろう。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)