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まさつら
ふりがな文庫
“
正行
(
まさつら
)” の例文
一団になって、陣所へ曳かれ、さては首切られるかと、覚悟定めていましたところ、いとうら若い大将、楠木河内守
正行
(
まさつら
)
殿でした。
日本名婦伝:大楠公夫人
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
すわとばかりに
正行
(
まさつら
)
、
正朝
(
まさとも
)
、
親房
(
ちかふさ
)
の面々
屹
(
きっ
)
と
御輿
(
みこし
)
を
護
(
まも
)
って賊軍をにらんだ、その目は血走り
憤怒
(
ふんぬ
)
の
歯噛
(
はが
)
み、毛髪ことごとく
逆立
(
さかだ
)
って見える。
ああ玉杯に花うけて
(新字新仮名)
/
佐藤紅緑
(著)
竹ちやん、お前も十二やよつてな、櫻井の驛子別れの時の
正行
(
まさつら
)
と
同
(
おな
)
い
年
(
どし
)
や。
阿母
(
おかあ
)
さんのいふことを、よう覺えときや。
天満宮
(旧字旧仮名)
/
上司小剣
(著)
正成、桜井駅に子
正行
(
まさつら
)
と訣別し、兵庫に赴きて、義貞と共に賊の大軍と戦ひ、腹背敵を受けて忠死を遂げた。
二千六百年史抄
(新字旧仮名)
/
菊池寛
(著)
方々から借り集めたボロラケットの五、六本を束にした奴を筆者が自身に担いで門を出た時には、お負けなしのところ四条
畷
(
なわて
)
に向った楠
正行
(
まさつら
)
の気持がわかった。
ビール会社征伐
(新字新仮名)
/
夢野久作
(著)
▼ もっと見る
如意輪堂の扉にあずさ弓の歌を書きのこした楠
正行
(
まさつら
)
は、年わずかに二十二歳で戦死した。しのびの緒をたち、兜に名香を
薫
(
くん
)
じた木村
重成
(
しげなり
)
もまた、わずかに二十四歳で戦死した。
死刑の前
(新字新仮名)
/
幸徳秋水
(著)
楠公は
湊川
(
みなとがわ
)
にて討死にをとげ、二代の忠臣
正行
(
まさつら
)
公には、一時この書を手に入れられたが、またもや奪われて四条
畷
(
なわて
)
にてご最期、三代の楠
正儀朝臣
(
まさのりあそん
)
も、三度この書を手に入れられたが
蔦葛木曽棧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
殊にこの頃の都は一時の静謐を保っているようなものの、世はほんとうの太平に立ちかえった訳ではない。新田義貞は討たれてもその弟の義助がいる、楠正成はほろびてもその子の
正行
(
まさつら
)
がいる。
小坂部姫
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
正成は兵庫へゆくまえに、桜井ノ駅で
正行
(
まさつら
)
と別れているが、別れに際して恩賜の刀をわが子に与え、自分はこの合戦で死ぬから、おまえはあとに残って、父の遺志を継げと、必死の覚悟を述べている。
樅ノ木は残った:03 第三部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
彼ら湊川の生き残りとして
故殿
(
ことの
)
への申しわけになしうることは、
正行
(
まさつら
)
を奉じて行くところまで行く、それ一つしか残されていなかった。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
正成が
正行
(
まさつら
)
に遺言として与えたものであると云う。その中に
四条畷の戦
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
「あれは
正行
(
まさつら
)
の
従兄弟
(
いとこ
)
和田正朝
(
わだまさとも
)
じゃ」
ああ玉杯に花うけて
(新字新仮名)
/
佐藤紅緑
(著)
それは、亡き楠木河内守正成の
嫡男
(
ちゃくなん
)
正行
(
まさつら
)
だった。先帝の
喪
(
も
)
と洩れ聞いて、正行は一族の和田和泉守らとほか数百騎をひきつれて
馳
(
は
)
せ参じ
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その妻の手塩の愛を——可憐な
小冠者姿
(
こかじゃすがた
)
に
隈
(
くま
)
なく持って——ちょこんと目の前に
畏
(
かしこ
)
まった
正行
(
まさつら
)
にどこか急に
大人
(
おとな
)
びて来たものすら覚えて
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「いえ、お身支度も何も、とうにおすみでいらっしゃいますが、
正行
(
まさつら
)
をお仏間の内へよんで、なにかいまお話中のようなのでございまする」
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
正行
(
まさつら
)
、
正時
(
まさとき
)
の兄弟は、父の遺訓にもとづいて、前の年から
四天王寺
(
してんのうじ
)
や
和泉
(
いずみ
)
のさかいで
大捷
(
たいしょう
)
を
博
(
はく
)
し、転じて、八尾の城を
屠
(
ほふ
)
り、
誉田
(
ほんだ
)
の森では
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
しげしげ御所に見える河内の
正行
(
まさつら
)
なども、親房からじかにその熱烈な思想、哲学、歴史観、戦略、経世などを聞かされては
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
元服を去年すまして、幼名
多聞丸
(
たもんまる
)
を
正行
(
まさつら
)
とあらため、ことし十四をかぞえる正行だった。もとより重大な使いならこの正行をよこすはずもない。
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
勘太は、つい聞き入って、
正行
(
まさつら
)
が
四条畷
(
しじょうなわて
)
に出陣するのを待っていたが、急に思いだして、隣りの銭湯へ駈けこんだ。
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
一族の楠木弥四郎や和田弥五郎など十騎ほどの従者にまもられて、正成の一子
正行
(
まさつら
)
が、郷土南河内から
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
後醍醐天皇は三十七歳の御壮年だし、楠木
正行
(
まさつら
)
や北畠
顕家
(
あきいえ
)
などは、まだ五、六歳の乳臭児にすぎない。
随筆 私本太平記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
臣下の
正行
(
まさつら
)
へ、汝を
股肱
(
ここう
)
とたのむぞと
御諚
(
ごじょう
)
あそばされたことは、まこと正行のほまれ、亡き父君にも、御満足に在すらめとはふと思うたが、深く思えば、この御国に
日本名婦伝:大楠公夫人
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
あとかたもないのは分りきっているが、正成
正行
(
まさつら
)
の遺跡、「桜井ノ駅」にも立ってみたい。
随筆 私本太平記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
どこに遊んでいたのか、目ばやく父の姿を見つけた多聞丸(後の
正行
(
まさつら
)
)は、小さい弟と一しょに、もう迅い後ろ姿をみせて、彼方の寺房のぬれ縁へ大声を放ちながら駈けて行った。
私本太平記:07 千早帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ですが、母ぎみも、それほどまでに
正行
(
まさつら
)
がいうならばと、お泣きにはなりましたけれど、しまいにはおこころよく、
初陣
(
ういじん
)
なればと、この具足やら身支度も、お手ずから私に着せてくださいました。
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
今し方、戦場から拾われて来た
正行
(
まさつら
)
と、弟正時の
遺物
(
かたみ
)
かと思われた。
日本名婦伝:大楠公夫人
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「そうそう。そちは
正行
(
まさつら
)
より一つ年下、わしなどには負けられんな」
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「では、せめて
正行
(
まさつら
)
でもおつれなさいましては」
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
それと、
正行
(
まさつら
)
やその下の幼い子どもたちだった。
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
見れば、河内に残して来たはずの
正行
(
まさつら
)
だった。
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
正成の嫡男、後の
正行
(
まさつら
)
、幼名
多聞丸
(
たもんまる
)
だった。
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「いや、
多聞丸
(
たもんまる
)
(
正行
(
まさつら
)
)よ」
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“正行”の意味
《名詞1》
仏道修行での正しい行い。
浄土門で極楽浄土へ往生するための読誦・観察・礼拝・称名・讚嘆供養の五つの行い。
《名詞2》
正しい行い。品行方正。
(出典:Wiktionary)
正
常用漢字
小1
部首:⽌
5画
行
常用漢字
小2
部首:⾏
6画
“正行”で始まる語句
正行公
正行寺