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ちのう
ふりがな文庫
“
智嚢
(
ちのう
)” の例文
彼らのうちには、表面的な超国境主義が支配していて、四つのおもな国語と西欧四大国民の
智嚢
(
ちのう
)
とが安らかに混和していた。
ジャン・クリストフ:12 第十巻 新しき日
(新字新仮名)
/
ロマン・ロラン
(著)
油井伯爵を首領に
戴
(
いただ
)
いた野党の中の
智嚢
(
ちのう
)
と云われた
木内種盛
(
きうちたねもり
)
は、
微髭
(
うすひげ
)
の生えた口元まで、三十年
前
(
ぜん
)
とすこしも変らない
精悍
(
せいかん
)
な容貌を持っていた。
雨夜草紙
(新字新仮名)
/
田中貢太郎
(著)
そのほか、孔明の
智嚢
(
ちのう
)
から出たと後世に伝わっている武器は数かぎりなくあるが、何よりも大きなものは、彼によってなされた兵学の進歩である。
三国志:11 五丈原の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
お銀様の黒幕にこの人がいることは、伊太夫の傍らにお角さんが取巻いているよりは、遥かに
智嚢
(
ちのう
)
が豊かで、舞台が大きいことは申すまでもありますまい。
大菩薩峠:39 京の夢おう坂の夢の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
秀吉の
帷幕
(
いばく
)
に参していたそうで、「中津川の
智嚢
(
ちのう
)
」と
綽名
(
あだな
)
されたのは、この人物だったということである。
蔦葛木曽棧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
▼ もっと見る
このがらんとした
亜鉛
(
トタン
)
屋根の工場とも倉庫とも見える建物内こそ、そこに秘められている大秘密をあばきつくすため、彼の
智嚢
(
ちのう
)
を傾けつくさねばならぬ大戦場だった。
東京要塞
(新字新仮名)
/
海野十三
(著)
ヂュパンの
智嚢
(
ちのう
)
は「病的」であるほど深いのであるから、丁度カーライルが、彼の同時代の英国民を「四千万の愚物」と称して嘲ったように、警察の探偵を嘲ったのは無理もないことである。
ヂュパンとカリング
(新字新仮名)
/
小酒井不木
(著)
人は宇宙の創造に参与せずして少しもこの事を知らない。そして今いたずらにその貧弱なる
智嚢
(
ちのう
)
を絞りつくして宇宙と造化の秘義について知らんとし、
少
(
すこし
)
ばかりの推測の上に
蝶々
(
ちょうちょう
)
し
喃々
(
なんなん
)
する。
ヨブ記講演
(新字新仮名)
/
内村鑑三
(著)
如水は唐入の軍監となり、久方振りの表役、秀吉の名代、総参謀長のつもりで、軍略はみんな俺に相談しろ、俺の
智嚢
(
ちのう
)
のある限り、大明の首都まで坦々たる無人の大道にすぎぬと気負ひ立つてゐた。
二流の人
(新字旧仮名)
/
坂口安吾
(著)
伊藤八兵衛の
智嚢
(
ちのう
)
として円転滑脱な才気を存分に振ったにしろ、根が町人よりは
長袖
(
ながそで
)
を望んだ風流人
肌
(
はだ
)
で、
算盤
(
そろばん
)
を持つのが本領でなかったから、維新の変革で油会所を閉じると同時に伊藤と手を分ち
淡島椿岳:――過渡期の文化が産出した画界のハイブリッド――
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
天下は光秀自身の
肚
(
はら
)
以上、彼の一挙を計画的なものにも
観
(
み
)
ているし、彼の才腕、彼の
智嚢
(
ちのう
)
を大きく買っている。
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
先輩は
怒鳴
(
どな
)
りだした。当時
閥族
(
ばつぞく
)
政府へ肉薄して、政府をして
窘窮
(
きんきゅう
)
の極に
陥
(
おとしい
)
れていた野党の中でも、その中堅とせられている某党の
智嚢
(
ちのう
)
の死亡は、野党にとっての一大打撃であった。
雨夜草紙
(新字新仮名)
/
田中貢太郎
(著)
柴桑城
(
さいそうじょう
)
の一閣には、その日、かくと聞いて、彼を待ちかまえていた呉の
智嚢
(
ちのう
)
と英武とが二十余名、
峩冠
(
がかん
)
をいただき、衣服を正し、
白髯
(
はくぜん
)
黒髯、
細眼
(
さいがん
)
巨眼、
痩躯
(
そうく
)
肥大
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
また序戦では、参謀の
智嚢
(
ちのう
)
と智嚢とは敵味方とも、いずれ劣らぬ常識線で
対峙
(
たいじ
)
する。だがそのうちに、天来の声、いわゆるカンをつかみ、いずれかが敵の常道を
覆
(
くつがえ
)
すのだ。
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
天下の
智嚢
(
ちのう
)
と、奉行人たちの進行でも運ぼうが、秀吉の構想は、それまでの如何なる日本人の創意よりも遥かに雄大で、その都市計画面だけでも、余りに規模が大きすぎて到底
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
……摂津、おぬしも、ろくな
智嚢
(
ちのう
)
のない男だのう。おれを
留
(
とど
)
めて何の役に立てるつもりか
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
官兵衛としては、ひとりの子を送ることよりも、織田軍数万と、ひとりの大将を播州へ迎えることに、
智嚢
(
ちのう
)
をしぼった。そしてその実現を見る日は、今を措いてはないと信じていた。
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
彼の
智嚢
(
ちのう
)
は貧困でなかったし、またそういう匂いは実によく
嗅
(
か
)
ぎわける信長で、この主君の勘を口さきで
紛
(
まぎ
)
らわそうなどと考えたら間違いの
因
(
もと
)
ということを、彼はよく
弁
(
わきま
)
えもしていた。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
と、
帷幕
(
いばく
)
の
智嚢
(
ちのう
)
も、前線の部将も、いまは
挙
(
こぞ
)
って、それにだけ一致していた。
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
智嚢
(
ちのう
)
ということでは、家康はおのれ一箇の智をもって、決して、足りないとはしていない。けれど彼は、その
大頭
(
おおあたま
)
のうちに豊かに持っているものの他に、もう一つ、非常な特質を持っていた。
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
さすがに呂蒙は目が高かったとみえ、はやくから彼を用い、呉軍が荊州を襲ったのも、関羽を一敗地に介したのも、呂蒙の奇略といわれていますが、実はすべて、陸遜の
智嚢
(
ちのう
)
から出たものでした
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
と、
錦
(
にしき
)
の嚢を渡した。いわゆる
智嚢
(
ちのう
)
である。
三国志:11 五丈原の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
施す
智嚢
(
ちのう
)
はないか
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“智嚢”の意味
《名詞》
知恵袋。
(出典:Wiktionary)
智
漢検準1級
部首:⽇
12画
嚢
漢検準1級
部首:⼝
18画
“智嚢”で始まる語句
智嚢陣