智嚢ちのう)” の例文
彼らのうちには、表面的な超国境主義が支配していて、四つのおもな国語と西欧四大国民の智嚢ちのうとが安らかに混和していた。
油井伯爵を首領にいただいた野党の中の智嚢ちのうと云われた木内種盛きうちたねもりは、微髭うすひげの生えた口元まで、三十年ぜんとすこしも変らない精悍せいかんな容貌を持っていた。
雨夜草紙 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
そのほか、孔明の智嚢ちのうから出たと後世に伝わっている武器は数かぎりなくあるが、何よりも大きなものは、彼によってなされた兵学の進歩である。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お銀様の黒幕にこの人がいることは、伊太夫の傍らにお角さんが取巻いているよりは、遥かに智嚢ちのうが豊かで、舞台が大きいことは申すまでもありますまい。
秀吉の帷幕いばくに参していたそうで、「中津川の智嚢ちのう」と綽名あだなされたのは、この人物だったということである。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
このがらんとした亜鉛トタン屋根の工場とも倉庫とも見える建物内こそ、そこに秘められている大秘密をあばきつくすため、彼の智嚢ちのうを傾けつくさねばならぬ大戦場だった。
東京要塞 (新字新仮名) / 海野十三(著)
ヂュパンの智嚢ちのうは「病的」であるほど深いのであるから、丁度カーライルが、彼の同時代の英国民を「四千万の愚物」と称して嘲ったように、警察の探偵を嘲ったのは無理もないことである。
ヂュパンとカリング (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
人は宇宙の創造に参与せずして少しもこの事を知らない。そして今いたずらにその貧弱なる智嚢ちのうを絞りつくして宇宙と造化の秘義について知らんとし、すこしばかりの推測の上に蝶々ちょうちょう喃々なんなんする。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
如水は唐入の軍監となり、久方振りの表役、秀吉の名代、総参謀長のつもりで、軍略はみんな俺に相談しろ、俺の智嚢ちのうのある限り、大明の首都まで坦々たる無人の大道にすぎぬと気負ひ立つてゐた。
二流の人 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
伊藤八兵衛の智嚢ちのうとして円転滑脱な才気を存分に振ったにしろ、根が町人よりは長袖ながそでを望んだ風流人はだで、算盤そろばんを持つのが本領でなかったから、維新の変革で油会所を閉じると同時に伊藤と手を分ち
天下は光秀自身のはら以上、彼の一挙を計画的なものにもているし、彼の才腕、彼の智嚢ちのうを大きく買っている。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
先輩は怒鳴どなりだした。当時閥族ばつぞく政府へ肉薄して、政府をして窘窮きんきゅうの極におとしいれていた野党の中でも、その中堅とせられている某党の智嚢ちのうの死亡は、野党にとっての一大打撃であった。
雨夜草紙 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
柴桑城さいそうじょうの一閣には、その日、かくと聞いて、彼を待ちかまえていた呉の智嚢ちのうと英武とが二十余名、峩冠がかんをいただき、衣服を正し、白髯はくぜん黒髯、細眼さいがん巨眼、痩躯そうく肥大
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また序戦では、参謀の智嚢ちのうと智嚢とは敵味方とも、いずれ劣らぬ常識線で対峙たいじする。だがそのうちに、天来の声、いわゆるカンをつかみ、いずれかが敵の常道をくつがえすのだ。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天下の智嚢ちのうと、奉行人たちの進行でも運ぼうが、秀吉の構想は、それまでの如何なる日本人の創意よりも遥かに雄大で、その都市計画面だけでも、余りに規模が大きすぎて到底
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
……摂津、おぬしも、ろくな智嚢ちのうのない男だのう。おれをとどめて何の役に立てるつもりか
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
官兵衛としては、ひとりの子を送ることよりも、織田軍数万と、ひとりの大将を播州へ迎えることに、智嚢ちのうをしぼった。そしてその実現を見る日は、今を措いてはないと信じていた。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼の智嚢ちのうは貧困でなかったし、またそういう匂いは実によくぎわける信長で、この主君の勘を口さきでまぎらわそうなどと考えたら間違いのもとということを、彼はよくわきまえもしていた。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、帷幕いばく智嚢ちのうも、前線の部将も、いまはこぞって、それにだけ一致していた。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
智嚢ちのうということでは、家康はおのれ一箇の智をもって、決して、足りないとはしていない。けれど彼は、その大頭おおあたまのうちに豊かに持っているものの他に、もう一つ、非常な特質を持っていた。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さすがに呂蒙は目が高かったとみえ、はやくから彼を用い、呉軍が荊州を襲ったのも、関羽を一敗地に介したのも、呂蒙の奇略といわれていますが、実はすべて、陸遜の智嚢ちのうから出たものでした
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、にしきの嚢を渡した。いわゆる智嚢ちのうである。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
施す智嚢ちのうはないか
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)