揺籃ようらん)” の例文
旧字:搖籃
爾来最後まで同所長事務取扱の職に留まってこの揺籃ようらん時代の研究所の進展に骨折っていた。昭和二年には帝国学士院会員となった。
工学博士末広恭二君 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
かようにして私は、個性が揺籃ようらんと共に私に贈られた贈物ではなく、私が戦いをもって獲得しなければならない理念であることを知った。
人生論ノート (新字新仮名) / 三木清(著)
それは揺籃ようらんのようにかすかにうごめいていた。暖かくて、脂粉の香に満ちていた。そこにも無数のにこやかな美しい顔が横たわっていた。
影男 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
中欧に独歩の地位を占めているドイツ国民の揺籃ようらんをのぞくと同時に、世界人類の空想と道徳との源泉を汲むことのできるのをうれしく思う。
『グリム童話集』序 (新字新仮名) / 金田鬼一(著)
伊太利亜の地に尚華やかに語り伝へられるマストリリの英雄的な伝記がやがてシドチの強靭な決意を育てた揺籃ようらんの唄の一節であつたかも知れない。
その上にサッポロビールの空函あきばこが五つ六つ横倒しに並べられていた。それが子供達の机だった。私のペンの揺籃ようらんだった。
自分の馬鹿な性質を、雲の上から見下みおろして笑いたくなった私は、自分で自分を軽蔑けいべつする気分に揺られながら、揺籃ようらんの中でねむる小供に過ぎなかった。
硝子戸の中 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
揺籃ようらん」(同J五六二二)、「月光」(同J五六二二)、「秋」(同J五四九八)、「ある日の詩」(同J五五四三)、ことごとくニノン・ヴァランが名演奏だ。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
揺籃ようらんの前で道は二つに分かれ、それが松葉つなぎのように入れ違って、しまいに墓場で絶えている。
二つの道 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
もっとも、彼はすでに揺籃ようらん時代から非常に変わった人間であったことは争われない事実である。
衆人はその腐敗の床を、恐るべき死の揺籃ようらんを、一種敬虔けいけんな恐怖をもってながめていた。ベナレスの寄生虫の巣窟そうくつは、バビロンの獅子ししほらにも劣らぬ幻惑を人に与えていた。
きわみなき黙々たる日、それをしるしづけるものは、影と光との相等しい律動、また揺籃ようらんの底に夢みる遅鈍な存在の生命の律動——あるいは悲しいあるいは楽しいやむにやまれぬその欲望
河東節かとうぶしの会へ一緒に聴きに行った事があるが、河東節には閉口したらしく、なるほど親類だけに二段聴きだ、アンナものは三味線の揺籃ようらん時代の産物だといって根っから感服しなかった。
二葉亭余談 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
無数の虫螻むしけらが、或は暖く蟄し、或はそろそろと彼等の殻を脱ぎかけ、落積った枯葉の厚い層の奥には、青白いまぼろしのような彼等の子孫が、音もない揺籃ようらんの夢にまどろんでいるだろう。
地は饒なり (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
自分の手のなかにある赤ん坊ばかりでなく、わが子、他人ひとの子、世界中の揺籃ようらんを考えてみよう。そこに人生の涼しい青田がある。私たちはその農夫である。なんという大きな事業であろう。
最も楽しい事業 (新字新仮名) / 羽仁もと子(著)
彼はそれを子守唄の代りにして、グウグウ眠った。グーッと浮き上るかと思えば、ドーンと奈落ならくへ墜ちる。その激しい上下も、いまとなっては、彼を睡らせる揺籃ようらんとして役立つばかりだった。
火葬国風景 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「本望だろう。ケティは、遠い遠いむかしの、血の揺籃ようらんのなかへ帰った。ケルミッシュは、現実をのがれて夢想の理想郷へいった。二人はいいが……せっかく此処ここまで漕ぎつけて失敗しくじる俺は哀れだ」
人外魔境:03 天母峰 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
彼の友であり彼をいつくしみ、普通のとおり彼よりいっそう炯眼けいがんである一人の作家が、彼のつつましい揺籃ようらんをのぞきこんで、なんじは十二、三人の昵懇じっこん者の範囲外にふみ出すことはなかろうと予言したときから
そして、彼女が、うとうとと、居眠りを始める様な場合には、私は、極く極くかすかに、膝をゆすって、揺籃ようらんの役目を勤めたことでございます。
人間椅子 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
これもシーザーやポンペイの活躍していた恐怖時代のローマの片すみで静かに科学の揺籃ようらんをつづっていたこの人の心境をうかがわせるに足るのである。
ルクレチウスと科学 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
煤けた薄暗い部屋には、破れてはらわたを出した薄汚い畳が敷かれていた。その上にサッポロビールの空函が五つ六つ横倒しに並べられていた。それが子供たちの机だった。私のペンの揺籃ようらんだった。
(新字新仮名) / 金子ふみ子(著)
さらにまた、盲人の触感はねこの毛の「光沢」を識別し、贋造紙幣がんぞうしへいを「発見」する。しかし、物の表面の「粗度」の物理的研究はまだ揺籃ようらん時代を過ぎない。
感覚と科学 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)