将又はたまた)” の例文
旧字:將又
併しながら、これが如何なる純粋な心情の上になされたにせよ将又はたまた最も精神的な友誼にせよ、これは一つの姦淫であることは疑へない。
姦淫に寄す (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
この訊問こそ支倉の万策尽きた今日、残された唯一の頼みの綱で、冤枉八年の叫び空しきか、将又はたまた空しからざるか正々この一挙で決するのだ。
支倉事件 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
われわれは彼のこの切々のげんを信ずべきでしょうか。将又はたまた、荒唐無稽の世まい言として葬り去るべきものでしょうか。私は敢て多くを語りますまい。
彼が殺したか (新字新仮名) / 浜尾四郎(著)
然し我々が「淋しい」と感ずる時に、「あゝ淋しい」と感ずるであらうか、将又はたまた「あな淋し」と感ずるであらうか。
弓町より (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
しん、太祖の失か、失にあらざるか、斉泰のか、為にあらざる将又はたまた斉泰、遺詔に托して諸王の入京会葬をとどめざるあたわざるの勢の存せしか、非
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
丁香ていかう薔薇しやうびの清凉なるにもあらず、将又はたまた百合の香の重く悩ましきにも似ざれば、人或はこれを以て隣家のくりやに林檎を焼き蜂蜜を煮詰むる匂の漏来もれきたるものとなすべし。
来青花 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
将又はたまた明六社なる者が其領袖りやうしう西あまね、津田真道まみち、森有礼等にりて廃刀論、廃帝論、男女同権論の如き日本歴史に未曾有みぞうなる新議論を遠慮会釈なくき立てしが如き
明治文学史 (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
此が最合理的に、将又はたまた神学化した表現は、日並知皇子尊の殯宮の時の歌(人麻呂)にある。
万葉集研究 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
どう解釈したらいいのでありましょう? 私は形式的に女と同衾どうきんし乍ら、果してそれが同名異人であるのか、房枝の早業か、将又はたまたドッペルゲエンゲルの怪奇に由来するものであるか
陳情書 (新字新仮名) / 西尾正(著)
スペシアリテの埒内らちないに足を置く限りは、よし大衆的であれ、将又はたまた貴族的であれ、さらに選ぶところは無い筈である。
FARCE に就て (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
史をあんじて兵馬の事を記す、筆墨もまたみたり。燕王えんおう事を挙げてより四年、ついその志を得たり。天意か、人望か、すうか、いきおいか、将又はたまた理のまさしかるべきものあるか。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
将又はたまた大実業家に見込まれてその伜の妻となるかは、殆ど彼女の意のままに見えたのでした。
彼が殺したか (新字新仮名) / 浜尾四郎(著)
男の短刀を逃げてゐるのか将又はたまた切支丹伴天連バテレン仕込みの妖術まがひの愁ひの類ひを逃げてゐるのかまことにハッキリしてゐないが、これもつきあひの美徳であらう
をみな (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
将又はたまた智略を以て事に処することを卑しみ、覇気を消尽するのを以て可なりとしているような日頃の修行の心掛から、かえってタジタジとなって押返されたことだったろう。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
村人達の生活から将又はたまた思ひ出からそれをとりのぞいたら生々とした何が残らう! 半年村をとざしてしまふ深雪だけでも彼等の勤労の生活は南方の半分になるわけだが
禅僧 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
将又はたまたファルスの発生なぞといふことに就て一言半句の差出口を加へることさへ不可能であり、従而したがって、最も誤魔化しの利く論法を用ひてやらうと心を砕いた次第であるが——この言草を、又
FARCE に就て (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
将又はたまたファルスの発生なぞということについて一言半句の差出口を加えることさえ不可能であり、従而したがって、最も誤魔化ごまかしの利く論法を用いてやろうと心を砕いた次第であるが、——この言草いいぐさを、又
FARCE に就て (新字新仮名) / 坂口安吾(著)