大連だいれん)” の例文
奇術師になった三人は、多くの荷物を持って、大連だいれんから船で、山海関さんかいかんに渡りました。山海関から先は、奇術をやりながら行くのです。
金の目銀の目 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
船に乗るたびにおもうのだけれど、大連だいれん航路の朝の御飯はつくづくうまいと感心している。船旅では朝のトーストもなかなかうまいものだ。
朝御飯 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
そこで僕は休暇をとつて大連だいれんへ行つた。満鉄の本社に北支の事情に明るい先輩がゐたので、その人の意見を求めるつもりだつた。
夜の鳥 (新字旧仮名) / 神西清(著)
北海道歌志内うたしなの鉱夫、大連だいれん湾頭の青年漁夫、番匠川ばんしょうがわこぶある舟子ふなこなど僕が一々この原稿にあるだけを詳しく話すなら夜が明けてしまうよ。
忘れえぬ人々 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
おいらなんざ大連だいれん湾でもって、から負けちゃって、このあわせ一貫よ。畜生ちきしょうめ、分捕りでもやつけねえじゃ、ほんとにやり切れねえや
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
大連だいれんでみんなが背嚢はいのうを調べられましたときも、銀のかんざしが出たり、女の着物が出たりして恥を掻く中で、わたくしだけは大息張おおいばりでござりました。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
こゝで妻子を呼び迎えて、しばらく暮らして居たが、思わしい事もないので、大連だいれんに移った。日露戦争の翌年の秋である。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
九月十九日 大連だいれんの吉田弧岳、亡妻三周年の忌日も内地に帰れず事変のめ足留めをくひ居れり、亡長男の七周年忌日が丁度子規忌当日なりと申越しければ。
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
参籠おこもり堂とも言ふべき所には緬甸ビルマから来て印度インドの仏跡を巡拝する中流以上の老若男女の大連だいれんが逗留して居て、中に日本の処女かと想はれる美人が多く混つて居た。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
茶碗と箸とは飯粒のかたまりつきて胸悪くなりし頃船は大連だいれん湾に着きぬ。三尺の天井にぐくまりたる我らはただ上陸せんことをのみ望みたれどもたやすくは許されず。
従軍紀事 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
が、何の、これでは済まさない、一つ風並かざなみが直りさえすれば、大連だいれんか、上海シャンハイか、香港ホンコン新嘉坡シンガポールあたりへ大船で一艘いっぱい、積出すつもりだ、と五十を越したろう、間淵が言います。
雪柳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
今日では立派な医師となって大連だいれんの方に住んでいるのである。家族一同の写真を送ってくれたが、四十年前の亀さんの面影が今日でもそっくりそのままに残っているのであった。
重兵衛さんの一家 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
バード・ストーン一座が大連だいれんの興行を打切として解散するに就いて、団員間に手当の不足問題が話題となっていること……××大使が非常に都合よく事を運んでくれているので
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
支那しなにはひりますと、朝鮮ちようせんちか滿洲まんしゆうにも、旅順りよじゆん大連だいれんあたりからも石器せつき非常ひじようおほるのでありますが、石斧せきふなかにはひらたくてあながあり、かくばつたのみのようなものがありまして
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
松本さんの店は、大連だいれんにぎやかな所にありましたが、別に、住居すまいが山手の方の静かな所にありました。一同は、そちらに落ち着きました。
金の目銀の目 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
相沢久次郎と云うのが養父であったが、土木事業で大連だいれんに渡って行き、きんが小学校の頃から、この養父は大連へ行きっぱなしで消息はないのである。
晩菊 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
九州のおじいさんのことや、大連だいれんの松本さんや一郎のことがなつかしく思いだされるのでした。チヨ子にもその気持ちがよくわかりました。
金の目銀の目 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)