墨付すみつき)” の例文
先年せんねん自分じぶんに下されしなり大切の品なれども其方そのはうねがひ點止もだし難ければつかはすなりと御墨付おんすみつきを添てくだんの短刀をぞたまはりける其お墨付すみつきには
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
と、みずから料紙に向って、墨付すみつきをしたためた。富山城をふくむ新川郡一郡を、この後も、成政の扶持料ふちりょうとして与えるという印可いんかだった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
写本は墨付すみつき二十七枚の美濃紙本で、表紙に「大阪大塩平八郎万記録よろづきろく」と題してある。表紙の右肩には「川辺文庫」の印がある。川辺御楯かはのべみたて君が鈴木君に贈与したものださうである。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
付させられ懷姙くわいにんし母お三婆のもとへ歸るみぎり御手づから御墨付すみつきと御短刀たんたうそへて下し置れしが御懷姙の若君わかぎみは御誕生たんじやうの夜むなしく逝去遊おかくれあそばせしを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「どうであろ。このまま、越前へ帰って、主君へおこたえ申しあぐるにも、何がな、筑前どのの墨付すみつきでもなければ、頼りない気がいたしはすまいか」
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひそめあの御方の儀に付ては一朝一夕いつてういつせきのべがたしまづ斯樣々々かやう/\の御身分の御方なりとてつひに天一坊と赤川大膳だいぜんに引合せすなはち御墨付すみつきと御短刀を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「ああ、思い出した。それじゃあ、なんでも滄州の近郊には、そう太祖たいそ武徳皇帝のお墨付すみつきを伝来の家宝に持っているどえらい名家があると聞いたが」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いま仰せをうけて江南に帰るに際し、なにか丞相のお墨付すみつきでも拝領できれば、小家の一族も安心しておられますが
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼はすでにおびただしい物資を、鎌倉殿へ貸したが、その手形は、時政の証文でもなし、鎌倉殿の墨付すみつきでもなかった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これで、酔中すいちゅうの妥協もついた。だいぶ酔ったらしい天堂一角、振分けを解いて、今まで二人に示したことのない、蜂須賀阿波守のお墨付すみつきを出してみせたりした。
鳴門秘帖:03 木曾の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そういう意味の墨付すみつきで、すなわち信長から高松城の守将、清水長左衛門宗治むねはるへあてて示すものであった。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀吉は予定のごとく勝豊を降し、まずこの要地を自陣に加えたが、守将はそのまま柴田勝豊に命じ、本領安堵ほんりょうあんど墨付すみつきを与え、転じてさらに、岐阜へ前進したのであった。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
後払い制度の軍札以外には、占領地の山とか田とかをお墨付すみつきとして、功労があるとか、献納物をしたとかいう、所の庄屋や豪農などへ下附したであろうことも疑いない。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いや、たやすくない使者だ。なぜならば、ゆく先は、敵国の領地——岡崎への間道にあたる徳川方の森川権右衛門の城まで行って、この墨付すみつきを、届けてもらいたいのじゃ」
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「わざと、主君の墨付すみつきは持参いたしませぬが、何とぞ、密使右馬介をお信じ下されまして」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
近江三箇荘を与えようという好餌こうじのもとに、協力を求めたのである。だが叡山はその前日、直義ただよし墨付すみつきで、すでに近江三箇荘をもらっていた。当然、あいまいな態度でしかない。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その水案内みずさきにはここの串崎船が先陣をつとめ、その功で以来「——日本国中、津々浦々、どこに寄っても、串崎船は公役を受くるに及ばず」という公役免除の墨付すみつきをうけており
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「筑前様のお墨付すみつきをもって、大留城おおとめじょう森川権右衛門もりかわごんえもんの所へ」
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ウム、加増かぞうのお墨付すみつきをいただいた」
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)