今上きんじょう)” の例文
とりわけ、近世の歴代中でも、比類なき英邁えいまいな質をもってお生れあったという今上きんじょう後醍醐とすれば、切歯せっしのおちかいも、当然なわけで
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今上きんじょう天皇がまだ御六歳の時、東宮はるのみや様と仰せられる頃御乗用の木馬までもこの人が作られたというような次第でありました。
それはこの仏教の規定として我が大日本帝国今上きんじょう皇帝陛下の万歳万万歳を祝願すると同時に
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
年があけると今上きんじょう践祚せんそされた知らせがあり、二月には征長軍が解かれるなど、幕府の勢力の衰退と、王政復古の気運の増大とが、もはや避けがたい時の来たことを示すように
失蝶記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「ここにおわす御方おんかたこそ、今上きんじょうだい一の皇子みこにましまし、さきの比叡山天台座主ざす、ただ今はご還俗あそばされて、兵部卿大塔宮護良もりなが親王様におわすぞ! ……われらはお供の木寺相模」
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
今上きんじょうの親王が御成人になれば、それまで生きているかどうかおぼつかないことだが、その時に私の習いえただけの琴の芸をお授けしようと願っている。二の宮は今からそうした天分を
源氏物語:35 若菜(下) (新字新仮名) / 紫式部(著)
その女在子ざいしは早く後鳥羽の女御となり、所生しょせいの皇子はその頃の今上きんじょう、即ち土御門天皇であらせられたから、その勢力は摂政関白に対抗するものだったことは前に説明した通りで、したがって
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
今上きんじょうが元勲に匡輔きょうほの任を御命じになった大正の初めに於てである。元老が内閣更迭に集って相談するはこれが初めてであって、同時にまたこれが最後であろう。いな、最後であるべきである。
私は見てつつましくなった、金の十六弁の菊の御紋章が光り、今上きんじょう皇后両陛下に摂政宮と妃殿下の御尊像が並び立たせられた石版刷りの軸が一本、まことにありがたそうに掛け垂らしてあった
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
今上きんじょう陛下は武門政治を初め一切の有害無用な旧習を破壊遊ばし、あわせてひろく新智識を世界に求める事をすすめ給い、学問、技術、言論、信教、出版等あらゆる思想行動の自由を御許しになり、生命
女子の独立自営 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
他の一二の小屋は訪わず、玉蜀黍をい喰い帰る。北海道の玉蜀黍は実にうまい。先年皇太子殿下(今上きんじょう陛下へいか)が釧路くしろで玉蜀黍をしてそれから天皇陛下へおみやげに玉蜀黍を上げられたももっともである。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
「そしてまた……。正成は今上きんじょうの御一方にちかいまいらせた一朝臣あそん。さよう、江口の遊女おんなのように、世を浮舟と渡る上手なすべは知り申さぬと」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
誰あろう高貴の御方おんかたこそ、今上きんじょう第一の皇子みこにましまし、文保二年二月二十六日、仏門に帰せられ比叡山に上らせられ、梨本なしのもと門跡とならせられた、尊雲法親王に御在おわされたからであった。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
御年十八歳で践祚せんそされたが、御在位ちゅう災異凶事が多く起こり、それは、「今上きんじょうに御威徳が欠けているためである」といううわさが立つと、即位されてから僅か七年めに御退位、上皇となられた。
「なるほど、今上きんじょうの大御心は、そこにあるのでしょうな。お……小乙しょういつ(燕青)。熱いのをもひとつ持っていらっしゃい」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なにしろ、端王と申しあげる君は、先帝の第十一皇子で、今上きんじょう哲宗皇帝の弟君にあたられ、東宮とうぐう(皇太子)のご待遇をも受けておられるお方なのだ。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「だって、今上きんじょうの天子さまがお馴染なじみで、毎度毎度、お通いになっている高嶺たかねの花、いいえ、お止山とめやまの花ですもの」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今上きんじょうの仁慈、汝をころすに忍び給わず、封じて山陽公となす。即日、山陽におもむき、ふたたび都へ入るなかれ」
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「はい。足利ノ庄の内には、世々、八条院の御旧領があり、それが今上きんじょうの御料に移されておりますゆえ、おそれあれど、申さばわが家は、朝廷の一被官ひかんでもござりまする」
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まことに、今上きんじょう後醍醐ごだいご天皇)としても、公な父皇への御訪問は、即位後、初めての御儀だった。今後とて公な御対面としては、御一代あるかないかもしれないのである。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「正成は武人です。また、笠置へ伺候してこのかたは、身も心も今上きんじょうの御一方に誓いまいらせた一朝臣あそん。さよう、江口の遊女おんなのように、世を浮舟と渡るすべはよう存じておらぬ」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今上きんじょう後醍醐ごだいごのお動きはいよいよ活溌で、鎌倉など、はや御眼中にありともみえぬ。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)