三上みかみ)” の例文
そのうへ趣味しゆみひろく——たとへば最近さいきん、その三上みかみ對手あひてとして、いいとしをしながら(失言しつげん?)將棋しやうぎ稽古けいこしかけたりしてゐる。
三上みかみ山の百足むかでを退治した時代には、近江に近い山城の田原に住んでいて、藤原家であるところから田原たわら藤太とうだ秀郷と称していたが、その生国は下野しもつけであったために
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
徳川十四代将軍(家茂)が上洛の供を命じた奥医師は戸塚静寿院法印、竹内渭川院ゐせんゐん法印、本康宗達もとやすそうたつ法眼、三上みかみ快庵法眼と先生とで、これに奥外科見習村山伯元がへてあつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
セーラーの三上みかみ西沢にしざわ、水夫長、大工、コックなどは、もうその寝床でグーグーいびきをかいていた。全く、何か特に興奮することでもない時は、食後は非常に眠いのであった。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
例せば薩摩富士(開聞かいもん岳)、讃岐富士(飯ノ山)、近江富士(三上みかみ山)、南部富士(岩手山)、津軽富士(岩木山)、又は蝦夷富士(マクカリヌプリ)などは、それぞれ山の形が似ている為に呼ばれ
二、三の山名について (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
おなをんな取卷とりまかれてゐても、三上みかみは(説明中止せつめいちうし)——時雨しぐれさんは、社會的しやくわいてきに、文學的ぶんがくてきに、とにかく最早もはや、三四人よにん女文子をんなぶんし送出おくりだしてゐる、この賢明けんめいにしてうつくしいひと
いつでもふざけるにきまっている三上みかみさえも、一、二度極端な、女郎に関するその話題を提供してみたが、反響がないので、それ以外に話すことを全然持たない彼は黙りこくって
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
城代土井は下総しもふさ古河こがの城主である。其下に居る定番ぢやうばん二人ににんのうち、まだ着任しない京橋口定番米倉よねくらは武蔵金沢の城主で、現に京橋口をも兼ね預かつてゐる玉造口定番遠藤は近江あふみ三上みかみの城主である。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
その趣味しゆみしぶれいげると、三上みかみがその著名ちよめいなる東京市内出沒行脚とうきやうしないしゆつぼつあんぎやをやつて、二十日はつかかへつてないと時雨しぐれさんは、薄暗うすぐら部屋へやなか端座たんざして、たゞ一人ひとり双手もろて香爐かうろさゝげて、かういてゐる。