黒谷くろだに)” の例文
清河と一緒に「寺田屋」派から分離しのち天誅組の謀主となって斃れた藤本鉄石ふじもとてっせきらまで、一時は黒谷くろだにの肥後守を訪れることがあった。
新撰組 (新字新仮名) / 服部之総(著)
六角堂に参詣するとか、黒谷くろだに様に墓参のためとか言って、しげしげと外出そとであそばしたのは皆その女と逢引あいびきするためだったのでしょう。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
京都の黒谷くろだに参詣人さんけいにん蓮生坊れんしょうぼう太刀たちいただくようなかたで、苦沙弥先生しばらく持っていたが「なるほど」と云ったまま老人に返却した。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
仕方がない、せめて髪の毛でも切って持っていってやりたいが、のそのそ出ていったら、まだちっと険呑けんのんじゃ。ともかく黒谷くろだにの巣へ引きあげよう
流行暗殺節 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
黒谷くろだにとか金閣寺きんかくじとかいう所へ行くと、案内の小僧さんが建築の各部分の什物じゅうもつの品々の来歴などを一々説明してくれる。
案内者 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
南禅寺なんぜんじを一見して黒谷くろだにまで歩いた。あの山門に匿れていたという縁故で途中の話題は石川五右衛門が壟断ろうだんした。
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
「都の黒谷くろだにには、法然ほうねん上人などがいます。近頃、法然房の念仏の声は、しんしんと田舎にまで聞えてきた」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
散歩ニ出テモアマリ多クヲ歩カヌヨウニシ、ナルベク人通リノ少イ所、百万遍、黒谷くろだに永観堂えいかんどう辺ニつえイテ、主ニベンチデ休憩シテ時間ヲツブスヿニシテイル。
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
なおこれ名利の学問であるわいとたちまち皇円阿闍梨の許を辞して黒谷くろだに西塔さいとう慈眼房叡空じげんぼうえいくうの庵に投じた。これは久安六年九月十二日、法然十八歳の時のことであった。
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
黒谷くろだにもうでしはべりけるに、上人しょうにん出合い、この道無をば見もやらで、かの金持ちの男をあながちにもてなし、……さてさておぼしめし寄りての御参詣かな、仏法の内いかようの大事にても御尋ね候え
貧乏物語 (新字新仮名) / 河上肇(著)
釣鐘にむら雨ふりぬ黒谷くろだにやぬるでばやしの紅葉のなかに
舞姫 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
かごから放たれた小鳥のように、この女性たちは、他愛なく、嘻々ききとしていた。清水きよみずへも行った、祇園ぎおんへももうでた。——そして今、黒谷くろだにのほうへ降りてきたのである。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御存命中は黒谷くろだにの生き仏様とあがめられていらっしゃいましたからね。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
彼がそのように忌み嫌った腐敗堕落だらくの末法の世界のほかに、真実の仏教を、草間がくれの清流のように、年来、黒谷くろだにの吉水禅房でさけんでいる法然ほうねんという僧なども在ることは、入道も知らなかった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
唯円 黒谷くろだに様にお参りして来ると言ったのです。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
「何たッて、黒谷くろだにの欲ばり尼が相手だから、安いものしろじゃ、換えッこねえ。玄米くろごめ一提ひとさげに、おれの胴着一枚よこせと、吹ッかけやがったが、値打は、たっぷりと見て、買うてやった。……どうだ、この童は」
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
黒谷くろだにせて行け」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)