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陞
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のぼ
ふりがな文庫
“
陞
(
のぼ
)” の例文
唐国に使いして多くの文書宝物を得て帰った
吉士長丹
(
きしのちょうたん
)
の労を
嘉
(
よみ
)
して位を
陞
(
のぼ
)
し、
封
(
ほう
)
二百
戸
(
こ
)
を給し、
呉氏
(
くれうじ
)
の姓を賜わった如きは、唐国をクレと称し
国号の由来
(新字新仮名)
/
喜田貞吉
(著)
「この乱暮さを御覧なさい、座る所もないのよ。」と
主人
(
あるじ
)
の少女はみしみしと音のする、急な階段を先に
立
(
たっ
)
て
陞
(
のぼ
)
って
二少女
(新字新仮名)
/
国木田独歩
(著)
二月二十一日に柏軒が奥医師に
陞
(
のぼ
)
つた。わたくしは
偶
(
たま/\
)
此年庚申の正月に出た武鑑と三月に出た武鑑とを蔵してゐる。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
鉄鉉、
左都督
(
さととく
)
盛庸
(
せいよう
)
、
右都督
(
ゆうととく
)
陳暉
(
ちんき
)
等
(
ら
)
と力を尽して
捍
(
ふせ
)
ぎ、志を堅うして守り、日を
経
(
ふ
)
れど屈せず。事聞えて、鉉を
山東布政司使
(
さんとうふせいしし
)
と
為
(
な
)
し、盛庸を大将軍と
為
(
な
)
し、陳暉を副将軍に
陞
(
のぼ
)
す。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
蔵人頭
(
くろうどのかみ
)
に進み、位は正四位に
陞
(
のぼ
)
り、文明九年二十三歳の時の暮にはようよう参議となり、公卿補任に載る身分となったので、実隆の公生活はまずこの辺からしてようやく多忙になった。
東山時代における一縉紳の生活
(新字新仮名)
/
原勝郎
(著)
▼ もっと見る
五十歳を越えた内供は、
沙弥
(
しゃみ
)
の昔から、
内道場供奉
(
ないどうじょうぐぶ
)
の職に
陞
(
のぼ
)
った
今日
(
こんにち
)
まで、内心では始終この鼻を苦に病んで来た。
勿論
(
もちろん
)
表面では、今でもさほど気にならないような顔をしてすましている。
鼻
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
今は定めて余程高い地位に
陞
(
のぼ
)
つてゐることだらう。
パアテル・セルギウス
(新字旧仮名)
/
レオ・トルストイ
(著)
矢島
優
(
ゆたか
)
はこの年八月二十七日に
少属
(
しょうさかん
)
に
陞
(
のぼ
)
ったが、次で十二月二十七日には同官等を以て工部省に転じ、鉱山に関する事務を取り扱うことになり、
芝琴平町
(
しばことひらちょう
)
に
来
(
きた
)
り住した。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
肥後
(
ひご
)
の
細川家
(
ほそかわけ
)
の
家中
(
かちゅう
)
に、
田岡甚太夫
(
たおかじんだゆう
)
と云う
侍
(
さむらい
)
がいた。これは以前
日向
(
ひゅうが
)
の伊藤家の浪人であったが、当時細川家の
番頭
(
ばんがしら
)
に
陞
(
のぼ
)
っていた
内藤三左衛門
(
ないとうさんざえもん
)
の推薦で、
新知
(
しんち
)
百五十
石
(
こく
)
に召し出されたのであった。
或敵打の話
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
よく
経綸
(
けいりん
)
の業を
展
(
の
)
べ、
旋
(
めぐり
)
陞
(
のぼ
)
る
輔弼
(
ほひつ
)
の
栄
(
えい
)
。
連環記
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
寛政九年に江戸に来て、冬に至るまでに家族を京都から呼び迎へた池田瑞仙は、初め暫く市中に住んで、次で居を駿河台に卜し、翌十年二月六日には奥詰医師に
陞
(
のぼ
)
せられた。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
この頃
前
(
さき
)
に浦和県の官吏となった塩田
良三
(
りょうさん
)
が、
権大属
(
ごんだいさかん
)
に
陞
(
のぼ
)
って
聴訟係
(
ていしょうがかり
)
をしていたが、優善を県令に
薦
(
すす
)
めた。優善は八月十八日を以て浦和県出仕を命ぜられ、典獄になった。時に年三十六であった。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
陞
漢検1級
部首:⾩
10画
“陞”を含む語句
陞叙
陞任
陞進
呉俊陞
陞等