長良川ながらがわ)” の例文
わしは長良川ながらがわの上流を、十里余ものぼって、たった独りの老母おふくろがいるせき宿しゅくの在、下有知しもずちという草ぶかい田舎いなかへ一本槍に帰って来た。
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ホラ、私も長良川ながらがわに随いて六七里下りましたと申上げました時に……あの暑い盛りに……こう夏草の香のする……」
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
夕陽の落ちたばかりの長良川ながらがわかわらへ四人づれ鵜飼うかいが出て来たが、そのうちの二人は二羽ずつの鵜を左右の手端てさきにとまらし、あとの二人のうちの一人はを肩にして
赤い土の壺 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
妙子たちと一緒に長良川ながらがわ鵜飼うかいへ行った帰りに菅野家へ寄って一泊したことがあり、それから両三年後にも一度、矢張同じ顔触れで、茸狩たけがりに招かれたことがあった。
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
長良川ながらがわ木曽川いつの間にか越えて清洲と云うに、この次は名古屋よと身支度みじたくする間に電燈の蒼白き光曇れる空に映じ、はやさらばと一行に別れてプラットフォームに下り立つ。
東上記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
明日は上有知かみうち泊り、それから長良川ながらがわ河渡こうどまで舟で下って赤坂泊りはにならぬ。
大菩薩峠:32 弁信の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
長良川ながらがわ鉄橋陥落の図、尾張おわり紡績会社破壊の図、第三師団兵士屍体発掘したいはっくつの図、愛知病院負傷者救護の図——そう云う凄惨な画は次から次と、あの呪わしい当時の記憶の中へ私を引きこんで参りました。
疑惑 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
町と田野と長良川ながらがわの水の際から、突兀とっこつと急にそびえ立っている絶頂に、一羽の白鳥でもうずくまっているかと見まごう白壁が、ポチと小さく見える。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「来月は菊五郎が舞台でほんまのを使うて、長良川ながらがわの鵜飼いの芝居をやるねんて」
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
長良川ながらがわを渡ったものらしい。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「日暮れ近くのこと、これにいる堀越殿が、長良川ながらがわほとりで、一名の怪しげな武芸者ていの男を捕えて参りましたので」
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「これは長良川ながらがわで、………」
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
彼の姿は、また、長良川ながらがわほとりに見えた。旅程でも考えているのか、岸の草むらに腰を下ろして水を見ている。いつまでもいつまでもかずに見入っている。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
真っ暗な雨雲の空が、よいの口から真っ赤になり出して、長良川ながらがわの下流の方は、夕焼を見るようだった。
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すでにその義龍は、身長みのたけ六尺余り、膝長ひざたけ一尺二寸という堂々たる青年となり、稲葉山城の主君として君臨し、道三は、長良川ながらがわ向うの鷺山さぎやまの城へ、隠居の身とはなっている。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
えたる国の自壊じかいが始まったのである。年を越えて、ことし弘治二年の四月、浅ましき父子の合戦は、岐阜ぎふの里、長良川ながらがわほとりを、業火ごうかの炎と、血みどろのちまたにして闘い合った。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
流木のはやさを見てもわかるとおり、一夜にして出現したこの人工の泥湖は、いまなお刻々水嵩みずかさを増している。足守川あしもりがわ長良川ながらがわの二せんを合したものが、どうどうと注ぎ込まれているのである。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
稲葉山から長良川ながらがわの空をかけて、頻りと、時鳥ほととぎすの啼く四更しこうの頃であった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)