長沙ちょうさ)” の例文
(これは勿論僕自身の支那語に通じていない為である。しかし元来長沙ちょうさの言葉は北京ペキン官話に通じている耳にも決して容易にはわからないらしい。)
湖南の扇 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
荊州のうち長沙ちょうさ零陵れいりょう、桂陽の三郡だけを呉へ還してくれる。それなら呉の面目も立ち、きんの妻子も助けられよう
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
自分は長沙ちょうさの人で、姓はきん、名は汝利じょりというものである。若いときにこの乞食に拐引かどわかされて、まず唖になる薬を飲まされたので、物をいうことが出来なくなった。
開封府かいほうふに居らしめ、第六子てい王とし、武昌ぶしょうに居らしめ、第七子せい王とし、青州府せいしゅうふに居らしめ、第八子を封じてたん王とし、長沙ちょうさき、第九子ちょう王とせしが、は三歳にしてしょう
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
孑孑ぼうふりの水や長沙ちょうさの裏長屋
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
僕は三泊の予定通り、五月十九日の午後五時頃、前と同じ沅江丸げんこうまるの甲板の欄干らんかんによりかかっていた。白壁や瓦屋根かわらやねを積み上げた長沙ちょうさは何か僕には無気味だった。
湖南の扇 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
誰かと思ってふりかえると、それは、さきに汜水関しすいかんの第一戦で惨敗を喫してから後、常に、陣中でもうけが悪いので肩身せまそうにしていた長沙ちょうさの太守孫堅そんけんだった。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長沙ちょうさの人とばかりで、その姓名を忘れたが、家は江辺に住んでいた。その娘が岸へ出てきものすすいでいると、なんだか身内に異状があるように感じたが、後には馴れて気にもかけなかった。
ここに、呉の長沙ちょうさの太守孫堅そんけん遺子わすれがたみ孫策そんさくも、いつか成人して、当年二十一歳の好青年となっていた。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
僕は大阪毎日新聞社の命を受け、大正十年三月下旬から同年七月上旬に至る一百二十余日のかん上海シャンハイ南京ナンキン九江キュウキャン漢口ハンカオ長沙ちょうさ洛陽らくよう北京ペキン大同だいどう天津てんしん等を遍歴した。
「支那游記」自序 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
湘江しょうこうの西、零陵れいりょう湖南省こなんしょう・零陵)から手をつけるのが順序でしょう。次に桂陽、武陵と取って、長沙ちょうさへ進攻するのが自然かと思います。要するに、兵の進路は流れる水です。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大正十年五月十六日の午後四時頃、僕の乗っていた沅江丸げんこうまる長沙ちょうさの桟橋へ横着けになった。
湖南の扇 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
(張飛も趙雲も、おのおの一かどの働きをして実にうらやましく思います。せめて関羽にも、長沙ちょうさを攻略せよとの恩命があらば、どんなに武人として本望か知れませんが……)
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
武陵ぶりょうには太守金旋きんせんがあり、長沙ちょうさには韓玄かんげん、桂陽には趙範ちょうはん零陵れいりょうには劉度りゅうどなどが、おのおの地盤を占めております。この地方は総じて、魚米の運輸よろしく、地も中原に似て、肥沃ひよくです。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして遂に、一方の血路を斬りひらき、満身血となって、城外へ逸走してきたが、すでに玄徳は遠く去ってしまったので、やむなくひとり長沙ちょうさへ落ちて、後、長沙の太守韓玄かんげんに身を寄せた。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
黄匪こうひの乱がやんでからまた間もなく、近年各地に蜂起した賊では、漁陽ぎょよう(河北省)を騒がした張挙ちょうきょ張純ちょうじゅんの謀叛。長沙ちょうさ江夏こうか(湖北省・麻城県附近)あたりの兵匪の乱などが最も大きなものだった。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)