釈尊しゃくそん)” の例文
旧字:釋尊
しかし私は釈尊しゃくそんの教えを堅く信じこれを守らなければ自分の生命は無きものであるとまで確信して居りますから一向取り合いませぬ。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
仏祖釈尊しゃくそんもこの国へ渡ってきて、東なる仏国日本に万朶ばんだ仏華ぶつげを見るうえは、仏祖も天皇のみ心とひとつでなければならないし
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おおきな広い本堂に、一体見上げるような釈尊しゃくそんのほか、寂寞せきばくとして何もない。それが荘厳であった。日の光がかすかれた。
七宝の柱 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
(一気に強く)弥陀みだの本願まことにおわしまさば、釈尊しゃくそんの教説虚言ではありますまい。釈尊の教説虚言ならずば、善導ぜんどうの御釈偽りでございますまい。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
「そのほか、慈眼大師じげんだいし銅製どうせい誕生仏たんじょうぶつ釈尊しゃくそん苦行くぎょうのお木像もくぞう、同じく入涅槃像にゅうねはんぞう、いずれも、稀代きだいの名作にござりまする」
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
中央の岩上に結跏趺坐けっかふざした釈尊しゃくそんの周囲に、怪奇な魔衆が群り集っている、空想の限りをっくした絵である。
『西遊記』の夢 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
釈尊しゃくそんもまた女子は三界に家なしなどといって、女子を以て天性罪障の深いものと定めているが、これもあるいは孔子と等しく、その後宮に於てすこぶるその妃に苦しめられ
現代の婦人に告ぐ (新字新仮名) / 大隈重信(著)
老病死の解決を叫んで王者の尊を弊履へいりのごとくに捨てられた大聖釈尊しゃくそんは、そのとき年三十と聞いたけれど、今の世は老者なお青年を夢みて、老なる問題はどこのすみにも問題になっていない。
紅黄録 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
「暁の星にあはで」ということは、釈尊しゃくそん菩提樹下ぼだいじゅかに在って暁の星を見てさとりを開いたという故事がありますのでかくんだのであります。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
沢庵たくあんは、雪山せっせんから降りてきた釈尊しゃくそんのように、風呂敷のすそを翩翻へんぽんと風にふかせながら、後ろから歩いて来るのであった。
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「なんと、おどろくべきではないか。釈尊しゃくそんは遠き末世を予言しておられたが、わが上宮太子も、すでに四天王寺創建のころ、今を見とおしておられたのだ」
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その見苦しい事といったら何と評してよいか。始めて見た時分にはほとんど評のして見ようがなかったです。これが釈尊しゃくそんの弟子の集会日だとはどうしても思えなかった。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
出家功徳経のはなしは今、釈尊しゃくそんが、毘舎離国びしゃりこくに入って、弟子の阿難あなんと共に、その国の王子の生活ぶりをながめて、嘆いている——という例話に入っていた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
釈尊しゃくそんは予言している。仏の教えも、功力くりきの光をもち得るのは、せいぜい五々百歳にすぎず、正法千年、像法千年をすぎ、およそ二千年で、滅するであろう——と。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だが、この無言の雄弁は、釈尊しゃくそんと阿難が指にはなねんじながら微笑ほほえんだような平和な光も謎もない。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「かかるためしは、わが文殊院五台山の開山以来ありますまい。霊域に魔獣を飼えとは釈尊しゃくそんのりにも聞きおぼえぬところ。よろしく即時ご追放あッてしかるびょう存じまする」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そしてまた、さるひじりが、わざわざ訪ねてきていうようには、今年は、釈尊しゃくそん滅後二千一百二十二年にあたる、あるいは、霊夢やもしれぬ。松は十八公と書く、弥陀正因本願みだしょういんほんがんの数につうじる。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)