近江屋おうみや)” の例文
では、かいつまんで申しまするが、てまえは日本橋の橋たもとに両替屋を営みおりまする近江屋おうみや勘兵衛かんべえと申す者にござります。
真先にこれを見附けたのが、すぐ近くの麹町一丁目に住む近江屋おうみやという木綿問屋の忰で、今年、九つになる松太郎。
それから横浜よこはま近江屋おうみや——西洋小間物屋こまものやの近江屋が来たら、きょうこっちから出かけたからっていうようにってね
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
永「いや今近江屋おうみやへ往ってのう、本堂の修繕しゅぜんかた/″\相談に往って、帰り掛に一寸寄ったら、詰らぬ物だが一杯と云うて馳走になってるじゃ、今帰るよ」
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
引手茶屋は玉屋に通った時、初め近江屋おうみや半四郎、後大坂屋忠兵衛、稲本に通った時仲の町の鶴彦つるひこであった。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
昨日きのう、東京の近江屋おうみやの御主人からお香奠こうでんに添えてこのようなお手紙(略)が参りました。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
女はやはりお吉というのが本名で、中目黒切っての物持ち、洒落しゃれに両替もやるといった、近江屋おうみや七兵衛の番頭佐太郎が、人目をはばかって、思い切り遠方に囲っているめかけだったのです。
嘉永かえい元年九月十二日の宵である。芝の柴井町しばいちよう近江屋おうみやといふ糸屋の娘おせきが神明前しんめいまえの親類をたづねて、五つ(午後八時)前に帰つて来た。あしたは十三夜で、今夜の月も明るかつた。
翌日、登は池之端仲町の「近六」へ訪ねてゆき、主人の近江屋おうみや六兵衛と話した。おえいがにせの白痴だということを、六兵衛はなかなか信じなかったが、下女に使うという点は承知した。
や、これは源さん。今日は少し寒いな。ゆうべ、近江屋おうみやへ這入った泥棒は何と云う馬鹿な奴じゃの。あの戸のくぐりの所を四角に切り破っての。そうしてお前の。何も取らずにんだげな。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
客が、加賀国山代やましろ温泉のこの近江屋おうみやへ着いたのは、当日ひる少し下る頃だった。
みさごの鮨 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
家へ帰ると、子分の松吉が待っていて、ゆうべ深川富岡門前の近江屋おうみやという質屋へ二人づれの浪人が押借りに来て、異人の首を突きつけて攘夷の軍用金をまきあげて行ったと報告した。
半七捕物帳:40 異人の首 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
かくして乗りつけたところは、いうまでもなく日本橋詰めの近江屋おうみや勘兵衛かんべえ方です。
さて前回にべました文治郎と亥太郎の見附前の大喧嘩は嘘らしい話ですが、神田川かんだがわ近江屋おうみやと云う道具屋のうちに見附前の喧嘩の詫証文あやまりじょうもんと、鉄ごしらえの脇差と、柿色の単物が預けてあります。
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
近江屋おうみやというのはその頃の万両分限の一人ですが、二三年前に主人あるじが亡くなり、続いて一年ばかり前に、母親が死んで、今は、主人の弟、友二郎ともじろうが支配人として、店の方一切を取り仕切り
府中で手びろく物産廻送ぶっさんかいそうをやっている近江屋おうみや鉄五郎というのがあります。
顎十郎捕物帳:23 猫眼の男 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
日本橋伝馬町の近江屋おうみやといううちに持って行きました。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
柳原町やなぎはらちょうと町内がつながって居りますが、小田原町の家主やぬしに金兵衞と申す者がございまして、其の頃は家号いえなを申して近江屋おうみやの金兵衞と云う処から近金ちかきんと云われます、年齢としは四十二に成りますが
政談月の鏡 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
近江屋おうみやの小町娘、——おひなが行方知れずになった話はお聞きでしょう」
近江屋おうみやという伝馬町の木綿問屋の末娘で、初枝はつえという十八になる娘。
平賀源内捕物帳:萩寺の女 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
殺されたのは、町内の物持で荒物屋に質屋を兼ねている、近江屋おうみやの一人娘お新、美しいのと悧発りはつなのと、婿選びがむつかしいのとで、神田、番町あたりへまでも噂に上っている娘だったのです。
「八——、だいぶ前の事だが、花川戸の近江屋おうみやの娘が、とどろき権三ごんざという香具師やし誘拐かどわかされ、幽霊の見世物にされて殺されかけた事があったが、覚えているだろうな」(「幽霊にされた女」参照)