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ひと
季康子問う、弟子
孰か学を好むと
為す。孔子
対えて曰く、
顔回という
者ありて学を好みしが、不幸短命にして死し、今は則ち
亡し。(先進、七)
十二月
庚午朔、皇太子片岡に
遊行ます。時に飢ゑたる
者道の
埀に
臥せり。
仍りて
姓名を問ひたまふ。而して
言さず。皇太子
視て
飲食を与へたまふ。
子曰く、
弊れたる
縕袍を
衣て、
狐貉を
衣たる
者と立ちて恥じざるものは、それ由か。(子罕、二七)
庚午、皇子大津を
訳語田の
舎に
賜死らしむ。時に年廿四。
妃皇女山辺、
髪を
被し
徒跣にして、
奔赴きて
殉ぬ。見る
者皆
歔欷く。皇子大津は
天渟中原瀛真人天皇(天武天皇)の第三
子なり。
子曰く、虎を
暴(徒搏)にし、河を
憑(徒渉)りて、死すとも
悔ゆるなきものは、吾
与せざるなり、必ずや事に臨みて
懼れ謀を好みて成す
者に(与する)なり。(一〇)