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粟津
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あわづ
ふりがな文庫
“
粟津
(
あわづ
)” の例文
粟津
(
あわづ
)
明神の裏に立つと、谷間にかかる滝が眼の下に見え、秋になると紅葉が美しいので、城下から見物に来る者も少なくなかった。
失蝶記
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
それならばと、義仲はひたと今井四郎の顔をみつめると、くるりと馬の首を返して、唯一騎
粟津
(
あわづ
)
の松原に向って馬を走らせた。
現代語訳 平家物語:09 第九巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
「
粟津
(
あわづ
)
の
戦
(
いくさ
)
で、むかし、
木曾義仲
(
きそよしなか
)
を射とめた
石田判官為久
(
いしだのほうがんためひさ
)
という人は、わが家の御先祖だと、父から聞いておりました」
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
この山代の湯ぐらいでは
埒
(
らち
)
あかねえさ。
脚気
(
かっけ
)
山中
(
やまなか
)
、かさ
粟津
(
あわづ
)
の湯へ、七日湯治をしねえ事には半月十日寝られねえで、
身体
(
からだ
)
中
掻毟
(
かきむし
)
って、目が
引釣
(
ひッつ
)
り上る若旦那でね。
みさごの鮨
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
湖畔の村々には夕けぶりが立ち出した。
鴉
(
からす
)
が鳴く。
粟津
(
あわづ
)
に来た時は、並樹の松に
碧
(
あお
)
い
靄
(
もや
)
がかゝった。
みみずのたはこと
(新字新仮名)
/
徳冨健次郎
、
徳冨蘆花
(著)
▼ もっと見る
例えば
粟津
(
あわづ
)
村
井
(
い
)
の
口
(
くち
)
の弘法の池は、村の北の端にある共同井戸でありますが、昔ここにはまだ一つの泉もなかった頃に、ある老婆が米を洗う水を遠くから
汲
(
く
)
んで来たところへ
日本の伝説
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
唐崎
(
からさき
)
はあの辺かなど思えど身地を踏みし事なければ
堅田
(
かただ
)
も石山も
粟津
(
あわづ
)
もすべて判らず。
東上記
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
この外『新古今』の「
入日
(
いりひ
)
をあらふ沖つ
白浪
(
しらなみ
)
」「
葉広
(
はびろ
)
かしはに霰ふるなり」など、または
真淵
(
まぶち
)
の
鷲
(
わし
)
の
嵐
(
あらし
)
、
粟津
(
あわづ
)
の
夕立
(
ゆうだち
)
の歌などの如きは和歌の
尤物
(
ゆうぶつ
)
にして俳句にもなり得べき意匠なり。
俳諧大要
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
この時木曾殿はただ一騎、
粟津
(
あわづ
)
の松原へ駈けたもう。
丹下左膳:02 こけ猿の巻
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
可惜
(
あたら
)
、一代の弓矢をとって、都にまで入りながら、その都で、我意小慾に
囚
(
とら
)
われ、都を
荒廃
(
こうはい
)
させて都を落ち、やがて
粟津
(
あわづ
)
で野たれ死に同様な最期を
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
澄憲法印は、余りにも痛わしい座主の嘆きをみかねて、
粟津
(
あわづ
)
まで送ってきた。しかしどこまでも送っていくわけにもいかないので、そこで別れを告げることにした。
現代語訳 平家物語:02 第二巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
「八日まえに、紅梅会の者五人と
粟津
(
あわづ
)
へいったんだ」兵庫は云った、「——もうまもなく祝言だし、西牧へゆけば当分は出られないだろう、母上もぜひやってやれと
仰
(
おっ
)
しゃるので、出してやったんだ」
雨の山吹
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
やがて
粟津
(
あわづ
)
の岸を占領してからは、官軍も
腹背
(
ふくはい
)
の脅威にあきらかな苦悶をみせはじめ——またまもなく、正面の
高
(
こう
)
ノ
師泰
(
もろやす
)
も、瀬田の一角を突破していた。
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
日頃、彼が家中の子弟にもいっていたことばを、彼はいま、我とわが身に云い聞かせながら、馬上、槍を横たえて、
怒濤
(
どとう
)
と怒濤の
相搏
(
あいう
)
つごとき血戦の中を、悠々、少しずつ、
粟津
(
あわづ
)
の方へ進んでいた。
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
粟
漢検準1級
部首:⽶
12画
津
常用漢字
中学
部首:⽔
9画
“粟津”で始まる語句
粟津子
粟津陸奥之助