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秦
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はた
ふりがな文庫
“
秦
(
はた
)” の例文
或る日
驪山荘
(
りざんそう
)
の
秦
(
はた
)
さんのところで、秋田のきりたんぽだの
雪菜
(
ゆきな
)
だのというものを、
津田
(
つだ
)
さんと二人で
御馳走
(
ごちそう
)
になったことがあった。
南画を描く話
(新字新仮名)
/
中谷宇吉郎
(著)
「しかし
秦
(
はた
)
という字だね。秦という男が自分の苗字は支那から来たと言っていたぜ。矢っ張り工学士だから、彼奴はその支那の職人の子孫か知ら?」
ぐうたら道中記
(新字新仮名)
/
佐々木邦
(著)
憲兵司令官の
秦
(
はた
)
に宇垣や宇垣系を強圧させたのがはじまりで、それを東条が仕上げしたという順序なんですな
ノア
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
また
秦
(
はた
)
の
造
(
みやつこ
)
の祖、
漢
(
あや
)
の
直
(
あたへ
)
の祖、また
酒
(
みき
)
を
釀
(
か
)
むことを知れる人、名は
仁番
(
にほ
)
、またの名は
須須許理
(
すすこり
)
等、まゐ渡り來つ。かれこの須須許理、大御酒を
釀
(
か
)
みて獻りき。
古事記:02 校註 古事記
(その他)
/
太安万侶
、
稗田阿礼
(著)
子之助が生れてから人と成るまでの間には、年月を
詳
(
つまびらか
)
にすべき事実が甚だ少い。文政六年には父竜池の師
秦
(
はた
)
星池が六十一歳で歿した。子之助が
甫
(
はじめ
)
て二歳の時である。
細木香以
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
▼ もっと見る
只今
(
ただいま
)
さやうの料理つかまつりてむやなどのたまふを
秦
(
はた
)
のなにがしとかいふ
御随身
(
みずいじん
)
高欄のもとちかく候ひけるがうけたまはりて池の
汀
(
みぎわ
)
なるさゝを少ししきて白きよねを水に洗ひて奉れり。
蘆刈
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
この記事は
秦
(
はた
)
武右衛門という、そのときの木戸の番頭が書いたもので、秦はすぐに行者を捜索させたが、部落にはもちろんいなかったし、どっちへたち去ったか、足跡もみつけられなかった。
ちくしょう谷
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
小供の時から物を彫ることが好きで神童のようにいわれていたのを県の書記官の
秦
(
はた
)
氏に
見出
(
みいだ
)
され、その人から博物館長の股野氏にたのみ、同氏より
溝口
(
みぞぐち
)
美術部長を介して私の門下となったのです。
幕末維新懐古談:79 その後の弟子の事
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
それには一つ巧いことを思いついた。それは
秦
(
はた
)
さんの所で見た蟹の絵である。
南画を描く話
(新字新仮名)
/
中谷宇吉郎
(著)
また工人の
鍛冶屋
(
かじや
)
卓素
(
たくそ
)
という者、また
機
(
はた
)
を織る
西素
(
さいそ
)
の二人をも貢りました。
秦
(
はた
)
の
造
(
みやつこ
)
、
漢
(
あや
)
の
直
(
あたえ
)
の祖先、それから酒を造ることを
知
(
し
)
つているニホ、またの
名
(
な
)
をススコリという者等も渡つて參りました。
古事記:03 現代語訳 古事記
(旧字新仮名)
/
太安万侶
、
稗田阿礼
(著)
また
秦
(
はた
)
人
一
を
役
(
えだ
)
てて、
茨田
(
うまらた
)
の堤
二
と茨田の
三宅
(
みやけ
)
とを作り、また
丸邇
(
わに
)
の池
三
、
依網
(
よさみ
)
の池
四
を作り、また難波の堀江
五
を掘りて、海に通はし、また
小椅
(
をばし
)
の江
六
を掘り、また墨江の津
七
を定めたまひき。
古事記:02 校註 古事記
(その他)
/
太安万侶
、
稗田阿礼
(著)
“秦”の解説
歴史学/東洋史中国
秦(しん、Qín、紀元前905年 - 紀元前206年)は、中国の王朝である。周代・春秋時代・戦国時代にわたって存在し、紀元前221年に史上初めて中国全土を統一、紀元前206年に滅亡した。統一から滅亡までの期間を秦朝、秦代と呼ぶ。紀元前221年に中国史上初めて天下統一を果たした王の姓は、氏は趙。統一時の首都は咸陽。
(出典:Wikipedia)
秦
漢検準1級
部首:⽲
10画
“秦”を含む語句
秦王
太秦
秦淮
秦野
秦檜
秦吉了
秦人
秦川
秦清文
秦皮
秦皮樹
秦漢
秦楚
秦豊吉
秦腔
秦蔵六
秦星池
秦亀
秦氏
彊秦
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