申刻なゝつ)” の例文
その日も晝頃から始まつて、申刻なゝつ前にはかなり草臥くたびれましたが、近頃油の乘つて來た新助は、なか/\止さうと言ふことを言ひません。
おくられ今日の第一番客なりさてゆふ申刻なゝつ頃よりして立代たちかはり入代り語りそめをなす淨瑠璃じやうるり數々かず/\門弟は今日をはれと見臺に向ひて大汗おほあせ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
先ず悉皆すっかり洗い上げて、すうッと湯屋から出てうちへ帰って来ますと、ポーンと鳴る、是が申刻なゝつと云うので、それから
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
疲れては乘り、屈託くつたくしては歩き、十二里の長丁場を樂々と征服して、藤澤へあと五六町といふところまで來たのは、第一日の申刻なゝつ過ぎ——。
得たりと打悦び互ひに笑ひつ笑はれつ何時か草津くさつ石部いしべも夢の間に打過て水口の驛に着し頃は夏の日なれどもはや申刻なゝつすぎ共思はれける八九里の道を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
喜「かねてお話のござりました文治こときたる十四日夕申刻なゝつ頃、向島に於てしゅうとかたき大伴蟠龍軒を討ちます」
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
外は四月始めの良い陽氣、申刻なゝつ(四時)下がりの陽は明神樣の森に傾いて、街の子供達が路地一パイに馳け廻つてをります。
丁度其の日の申刻なゝつさがり、日はもう西へ傾いた頃、此の茶見世へ来て休んでいる武士さむらいは、廻し合羽がっぱを着て、柄袋の掛った大小を差し、半股引の少しれたのを穿いて
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
見定め出立致さん夫迄は遊び暮すべしとてなほにぎしくぞ居續ける其日はゆふ申刻なゝつ時分じぶんにて瀬川がひるの客も歸り何か用の有りとて内證ないしようへ行きしに右の一札を女房に讀聞よみきかせ居たるを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「朝消し忘れた行燈が、油も注さずに申刻なゝつ(四時)近くまで點いてゐる道理はありません。變ぢやありませんか、親分」
八月二十六日が丁度三七日みなのかで、其の日には都合が悪く墓参りが遅くなり、申刻なゝつさがりに墓参りをするものでないと其の頃申しましたが、其の日は空が少し曇って居るから、急ぎ足で参ったのは
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
やがて定刻の未刻やつが遲れて、申刻なゝつまでに集まつた者が九十八人、それに一々くじを引かせて、番號順に肌を除いで、皆んなに見せなければなりません。
子刻こゝのつ(十二時)過ぎに根岸の棟梁とうりやうの家を出て申刻なゝつ(四時)過ぎには品川で多勢の仲間と落合ひ、何んにも知らずに江の島から鎌倉へ遊び廻つて居る。
馬鹿な主人の總七が、人目をはゞかつてお粂に逢ひに行つてあの路地から話して居るのが毎日申刻なゝつときまつて居るんだ。
私はどういふものかあの日は朝から熱があつて、赤い顏をして居ると言はれましたが、到頭我慢が出來なくなつて申刻なゝつ(四時)前に歸らして頂きました。
「番頭の徳松は申刻なゝつ(四時)頃家を出て、酉刻むつ前に下谷の家へ着き、散々御馳走になつて亥刻よつ(十時)近く歸つた相です、大分醉つてゐたといふことで」
出て未刻やつ過ぎ申刻なゝつ(四時)近く參る筈でしたが、お寺からのお使ひの方が見えて、晝頃の方が御都合がよいといふお言傳だつたので、取急いで參つたやうなわけで——
銭形平次捕物控:239 群盗 (旧字旧仮名) / 野村胡堂(著)
錢形平次と八五郎が、兎も角、土地の御用聞川崎の孫三郎の家に草鞋わらぢを脱いだのは、その日ももう申刻なゝつ近い刻限でしたが、中年者の孫三郎は、下へも置かぬ喜びやうです。
道灌山へ平次と八五郎が向つたのは、悠々いう/\と晝飯を濟ましてから、火伏せの行が始まるといふ申刻なゝつ時分には、二人は無駄を言ひ乍ら若葉の下の谷中道を歩いて居りました。
捕物の名人錢形の平次と、その子分の八五郎、野暮用で龜戸へ行つた歸り、東兩國の見世物小屋へ入つたのは、初夏の陽も、漸く蔭を作りかけた申刻なゝつ(四時)近い刻限でした。
釣竿つりざをなんか擔いで、これから横川筋へ釣に行くんだが潮時が少し早いからと仰しやつて、一杯つけさして、さう、一刻位經ちましたか知ら、申刻なゝつ(四時)少し前、ほろ醉機嫌で
ガラツ八の八五郎が、番頭の襟髮を取つて引立てゝ來たのはもう申刻なゝつを廻る頃でした。
未刻下やつさがり、やがて申刻なゝつにも近からうと思ふ頃、お勝手口へフラリ人の影がさします。
東兩國の盛り場に差しかゝつたのは、かれこれ申刻なゝつ(四時)近い時分でした。
そのうちに次第に陽がかたむいて、未刻やつ(二時)になり申刻なゝつ(四時)になります。
「そんな事もあるでせう。血の附いた着物を着て、江戸の町は歩けません。お照さんの部屋で物音のしたのは、申刻なゝつ(四時)少し過ぎだつたさうですから、もう外は明るくなりかけて居た筈です」
「えゝ、そして、一寸。ほんの一寸外へ出ましたが、すつかり陽氣になつて歸つて來て、これで助かつた、これで俺も顏が立つ——と申してをりました。昨日の申刻なゝつ(四時)下がりでございました」
良い月夜の翌る日は、シヨボシヨボした秋雨になつて、夕方はもう眞つ暗、平次と八五郎が相對してゐる、神田明神下の——詳しく言へばお臺所町の路地の奧は、申刻なゝつ過ぎにもうあかりが欲しいやうです。
申刻なゝつ少し廻つたばかりだ、なア八」
申刻なゝつ半かな」