牧之ぼくし)” の例文
牧之ぼくしこゝに一宿しし時此夜具にしたるが、かのいとくずもすそにおちてあはせの所がおほく身にそゆべきものにはあらず。)
千七百七十年正月七日越後の国塩沢に生れた鈴木牧之ぼくしが天保年間にあらわした『北越雪譜』は、雪に関する考察と雪国の生活とを書いた書物として有名であり
(新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
苗場山を始めて世に紹介したのは、恐らく『北越雪譜』の著者といわれている鈴木牧之ぼくしであろう。文化八年に苗場山に登って「苗場山に遊ぶの記」という文を書いた。
三国山と苗場山 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
たまたま「北越雪譜」を読んでゐたら、著者鈴木牧之ぼくしが苗場山へ登つた記事がでてゐた。山頂に天然の苗田らしいものがあるといふので、その奇観を見るために同好の士と登つたのである。
日本の山と文学 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
牧之ぼくし老人は越後ゑちご聞人ぶんじんなり。かつて貞介朴実ていかいぼくじつもつてきこえ、しば/\県監けんかん褒賞はうしやうはいして氏の国称こくしようゆるさる。生計せいけい余暇よか風雅ふうがを以四方にまじはる。余が亡兄ぼうけい醒斎せいさい京伝の別号をう鴻書こうしよともなりしゆゑ、またこれぐ。
次に鈴木牧之ぼくしの『北越雪譜ほくえつせっぷ』にある話は、南魚沼うおぬま郡の池谷村の娘ただ一人で家にはたを織っていると、猿のごとくにして顔赤からず頭の毛の長く垂れた大男が、のそりと遣って来て家の内を覗いた。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
なだれはあへて山にもかぎらず、形状かたちみねをなしたる処は時としてなだるゝ事あり。文化のはじめ思川村おもひがはむら天昌寺てんしやうじ住職じゆうしよく執中和尚しつちゆうをせう牧之ぼくし伯父をぢ也。
稀には鈴木牧之ぼくしや高橋白山、又は橘南谿たちばななんけいや沢元愷の如き人もあって、山に於ける雲の美、岩の奇、眺望の大等に就て嘆美しているが、登った山は多きも二、三を超えず
山の今昔 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
○さてかの茶店さてんにて雪の氷をめづらしとおもひしに、その次日より塩沢しほざは牧之ぼくし老人が家にありしに、日毎に氷々こほり/\とよびて売来る、山家やまが老婆らうばなどなり。
『北越雪譜』の著者鈴木牧之ぼくし君は、「苗場山に遊ぶの記」を書いて
望岳都東京 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
これを暖国だんこくの人にみせなばいかにめづらしとかおもふらん。牧之ぼくし柏崎かしはざきより妻有つまりの庄へ山こえしたる時目前に見たる所也。
牧之ぼくしあんずるに、越後に大飯郡おほひごほりなし又寒水滝かんすゐたきの名もきかず。人ありかたるとあれば伝聞でんぶんあやまりなるべし。
牧之ぼくしあんずるに、橘春暉たちばなしゆんきあらはしたる北囱瑣談ほくさうさだん(後編の二)蔵石家ざうせきかの事をいふくだりいはく、江州山田の浦の木之内古繁こはん、伊勢の山中甚作、大坂の加嶋屋源太兵ヱ、其外にも三都の中の好事家かうずか侯国こうこく逸人いつじん