爾余じよ)” の例文
旧字:爾餘
偉大なる芸術家の作品を心読出来た時、僕等は屡その偉大な力に圧倒されて、爾余じよの作家はことごとく有れども無きが如く見えてしまふ。
芸術その他 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
最初の構案者たる定岡の筆に成るは僅かに二篇十冊だけであって爾余じよは我が小説史上余り認められない作家の続貂狗尾ぞくちょうくびである。
八犬伝談余 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
爾余じよはその屍体、及びその容貌の暗示より来れる脱線的の夢中遊行に移りて、それ以上の心理遺伝の内容を示さざりしものと思惟しいし得べし。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
爾余じよの連中に至っては、ただ軽薄な、長老にとって侮辱的な目的のためにやって来るのにすぎない——とアリョーシャはこんな風に考えたのだ。
爾余じよの住民は、村々の爾余のものと同様に、裸かの惨めな卑しい一、二〇〇人のアラビア人だったらしい。………これがティアワの状態であった。
自由詩は全般のものでなくして、或る一部の詩人に属するもので、爾余じよの大半の詩人たちは、今日尚規則的なる、韻文の形式を捨てないのである。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
両隊長、小頭は大抵新調した衣袴いこを着け、爾余じよの十六人は前夜頂戴した絹服を纏った。佩刀は邸内では渡されない。切腹の場所で渡される筈である。
堺事件 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
そしてそれが爾余じよの人口に及ぼす影響と両者の間の就職競争とによって、労賃の価値は下落せしめられ、労働階級の境遇は著しく悪化されるであろう。
われのみみのを着して船頭ならびに爾余じよの者とは自らかたち分明の心得わすれぬ八十歳ちかき青年、××翁の救われぬ臭癖見たか、けれども、あれでよいのだ。
二十世紀旗手 (新字新仮名) / 太宰治(著)
「そうでしょう。なにしろ夏侯楙かこうもは魏の駙馬ふばですからね。それだけに彼一名を生擒いけどれば、爾余じよの大将を百人二百人からるにもまさります。よい計はないものでしょうか」
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
生きたいという希求だ。自分のために生きるのが、唯一の真実だ。爾余じよの行動は感傷に過ぎない。
日の果て (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
(今年数十名の藩士が脱走だっそうしてさつに入りたるは、全くその脱走人限りのことにして、爾余じよの藩士に関係あることなし。)しかりといえども、今日の事実かくのごとくにして
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
有名な作家、有名な俳書に佳句が多いということは、常識的に一応もっともな話ではあるが、その故を以て爾余じよの作家乃至ないし俳書を看過するのは、どう考えても道に忠なる所以ゆえんではない。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
「このとおりじゃ、丹波ごとき……いわんや、爾余じよのとりまきども——」
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
爾余じよの囚罪人が一列一体に投ぜられる追い込み牢でありますが、かくして刑の決まった者は、またそれぞれ処刑どおりその刑舎と刑期に服し、ご牢屋奉行配下の同心とその下男がこれの監視に当たり
あるからすおのれが人物を驕慢けうまんし、孔雀くじやくの羽根を見つけて此処かしこにまとひ、爾余じよ諸鳥しよてうをば大きにいやしめ、わがうへはあるまじいと飛び廻れば、諸鳥安からず思ひ
孔雀 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
爾余じよの十人よりも、この人ひとりを迎えれば、われわれの誓いは千鈞せんきんの重きを加えよう。……なおなお、ありがたいことには、玄徳と彼の義兄弟のあいだにも、いつかは曹操を
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
爾余じよの報告までも概して信を失うに至る可し、日本の婦人は実に此世に生きて生甲斐なき者なり、気の毒なる者なり、憐む可き者なり、吾々米国婦人は片時も斯る境遇に安んずるを得ず
女大学評論 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
爾余じよの者どもは一散に、長浜へと急ぎに急ぎ、城内の留守居とも力をあわせて、町の年寄、村々の百姓に告げ渡し、われらの通る途々に、木之本きのもとまで隙間もなく、兵糧を並べ置けと申せ。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
爾余じよの諸勢力の迷い方も思いなかばに過ぎるものがあった。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)