洛外らくがい)” の例文
武蔵が二十一歳で上京して、憲法の子清十郎、弟の伝七郎、子の又七郎の三名までを洛外らくがい一乗邑で、試合のうえで打ち果してしまったことだ。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
当時洛外らくがい侘住居わびずまいする岩倉公いわくらこうの知遇を得て朝に晩に岩倉家に出入りするという松尾多勢子から、その子の誠にあてた京都便だよりも、半蔵にはめずらしかった。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
さて洛中らくちゅう洛外らくがいの非人乞食で大病難病をわずらふ者を集め、風呂に入れて五体をきよめ、暖衣を与へて養生をさするに、癩瘡らいそうなんどの業病ごうびょうたちまちに全快せぬはない。
ハビアン説法 (新字旧仮名) / 神西清(著)
横佩墻内よこはきかきつに住む限りの者は、男も、女も、上の空になって、洛中らくちゅう洛外らくがいせ求めた。そうしたはしびとの多く見出される場処と言う場処は、残りなく捜された。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
洛外らくがい嵯峨さがの大沢の池の月——水銹みさびにくもる月影は青かったが、もっと暗かった。嵐山の温泉に行った夜の、保津川ほづがわの舟に見たのは、青かったが、もっと白かった。
モルガンお雪 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
洛中らくちゅう洛外らくがいの人びとが集まって来て、見せ物か何かのようにそれを見物していた。
切支丹転び (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
洛外らくがい北山に住んでいて、時々洛中らくちゅうに現われては、我君を詈り時世を諷する、不思議な巫女があるという、困った噂は聞いていたが、ははあさてはこの女だな。よしよし後をつけてみよう。
南蛮秘話森右近丸 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
朝もまだほのぐらいうち、信長はもう支度して洛外らくがいを立っていた。池田勝三郎のことばにたがわず、山伏姿やその他の家臣二、三十名は後に残して
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
京都や安土あづちのエケレジヤの建築様式については、南蛮屏風びょうぶや扇面洛中らくちゅう洛外らくがい名所図などに徴して、ほぼ仏寺のていであつたと推定されてゐるが、これが地方へ行くと
ハビアン説法 (新字旧仮名) / 神西清(著)
南家の郎女が、宮から召されることになるだろうと言う噂が、京・洛外らくがいに広がったのも、其頃である。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
御祈願のため洛外らくがい鳳輦ほうれんを進められたという。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
例の洛外らくがい下り松の辻で、吉岡一門の大勢と暴戦しているのであるから、その刀が、たとえ後に手入れをしたにせよ、満足に残っているわけはない。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「——かねて、伊賀路から奥大和をこえ、和泉方面までを遊撃して来られた足利又太郎高氏どのの一軍が、昨夕、洛外らくがい鳥羽とばに着いたとのお届け出にござりますので」
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼の打明けた話によると、亀山六万石の城主松平龍山公はもうよわい七十に近い老体であって、とうから、京都の洛外らくがい四明しめいだけの山荘に風月を友として隠居しておられる。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
洛外らくがいの端で、洛内を去ること遠い辺鄙へんぴな地なので、都の人は勿論用はなし、旅人もめったに通う路ではないが、もし道に迷った者があって、これこそよき人里と思いなどして
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この頃、しきりと、洛外らくがいのさびしい里をおびやかしている風説が胸の底にさわいでくる。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だが、洛外らくがいを出た彼の第一歩は、その日、粟田口あわだぐちから瀬田まで来ると、もうそこに
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし釣殿といえ、寝殿しんでんといえ、こうもち古びているやかたは、洛外らくがいでもめずらしい。ただ、さすがに庭面にわもは、あるじのゆとりというものか、この自然をよく生かし、掃除そうじもとどいて清洒せいしゃである。
長兄うえの範綱は歌人だし、中の有範は、皇后大進だいしんという役名で、一時は御所と内裏だいりとに重要な地位を占めていたが、今は洛外らくがいにああして隠遁いんとん的にくすぶっているし、末弟すえの宗業は、書記局の役人で
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
洛外らくがい蒲東ほとうは小さな田舎町である。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)