東路あずまじ)” の例文
「『東路あずまじに、ありというなる逃げ水の、にげかくれても、世を過ごすかな』俊頼卿のこの和歌から、暗示を得て源内は設計したそうじゃの」
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
その成人ぶりさえ一目見れば、死んでも心残りはないと、恥も意地も打ち捨てて、先頃からこの東路あずまじをさがし歩いているわけでございまする
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
停車場から此処まで物の十分とはっていない。東路あずまじここも名高き沼津の里も是でもう見物が済んでしまったのかと僕は全く拍子抜けがした。
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
東路あずまじの道の果てなる常陸帯ひたちおびをたぐりつくして、さてこれより北は胡沙こさ吹くところ、瘴癘しょうれいの気あって人をいたましめるが故に来るなかれの標示を見て
大菩薩峠:31 勿来の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
父のあわれな急死も知らず駕籠にゆられて東路あずまじをくだり、花婿の髭をつくづく見ては言いようのない恐怖におそわれて泣き、手下の乱暴な東北言葉にきもをつぶして泣き
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
と云うのは、十歳の折乳母に死に別れてからは、時偶ときたまこの寮に送られて来る娘はあっても、少し経つと店に突き出されて、仙州せんしゅう誰袖たがそで東路あずまじなどと、名前さえも変ってしまう。
絶景万国博覧会 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
彼等は三条の旅宿に二三日の逗留とうりゅうをして、都の春を十分に楽しむと、また大鳥毛おおとりげやりを物々しげに振立てて、三条大橋の橋板を、踏みとどろかしながら、はるか東路あずまじへと下るのであった。
藤十郎の恋 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
太宰府に居ると言うが表面おもてだから、氏の祭りは、枚岡・春日と、二処に二度ずつ、其外、まわり年には、時々鹿島・香取の東路あずまじのはてにある旧社もとやしろの祭りまで、此方で勤めねばならぬ。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
……衛門の奴はこの東路あずまじはてに来てまでも、瓜を作る積りなのだそうじゃ。この東国が瓜で一杯になるまでふやしてみせますぞと、いやもう大した意気込なのだ。……面白い奴だよ。
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
翁に、末のこどもの姉と弟があった。深く寵愛していたのでまだどこの山へも送らず、手元で養っていたのであるが、翁はとうとう決心した。翁は姉と弟を取って東路あずまじへ帰る旅人の手に渡した。
富士 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
東路あずまじの草葉をわけん袖よりも
「何のなにがしと名乗るような、気の利いたやっこではございませんが、とどろきの源松と申しまして、東路あずまじから渡り渡って、この里に追廻しの役どころを、つとめておりまする」
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
しぶしぶ丹三郎を連れて国元を出発したが、京を過ぎて東路あずまじをくだり、草津くさつ宿しゅくに着いた頃には、そろそろ丹三郎、皆の足手まといになっていた。だいいち、ひどく朝寝坊だ。
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
瓜生ノ衛門 東路あずまじはさぞ淋しゅうござりましょうな。……手前もお供致しとうございました。………でも、供奉ぐぶのものはみな大伴おおとも様の御所存だったので、……残念ながら、……致し方ござりませぬ。
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
東路あずまじの道のはてから遥々はるばるの用心棒とは違う——ではひとつ追いかけてやろう。
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
手を取り合うといったところで、手に手をとって鳥が鳴く東路あずまじ……というようなしゃれた道行ではないが、女は兵馬をたよるように出来、兵馬も女を見てやらなければならないように悪く出来ている。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)