夜深よふけ)” の例文
というような事で長く議論をして居りましたが、同氏はどう留めてもかぬと見られたか若干の餞別を残して夜深よふけに帰って行かれた。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
そよそよと流れて来る夜深よふけの風には青くさいしいの花と野草のにおいが含まれ、松のそびえた堀向ほりむこうの空から突然五位鷺ごいさぎのような鳥の声が聞えた。
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ここは汽車の音も間近に聞こえ、夜深よふけには家を揺する貨車の響きもするのだったが、それさえ我慢すれば居心地いごこちは悪くなかった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
彼に心を寄せしやからは皆彼が夜深よふけ帰途かへりの程を気遣きづかひて、我ねがはくは何処いづくまでも送らんと、したたおもひに念ひけれど、彼等の深切しんせつは無用にも、宮の帰る時一人の男附添ひたり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
夜深よふけでは有るけれど、叩き起して、語り明かしても好いという決心で彼の宿を尋ねた。
幽霊塔 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
其の年には四月の月中つきぢゆうにたつた二三度、それも花を汚す塵を洗ふ爲めにと、わざ/\夜深よふけから降出して曉には必ず止んで呉れる情深い雨であつた。
歓楽 (旧字旧仮名) / 永井荷風永井壮吉(著)
昨夜も彼女は彼の寝間へ入って来て、夜深よふけの窓の下にびちゃびちゃいよる水の音を聞きながら、夜明け近くまで話していたが、それは文字通りの話だけで何の意味があるわけでもなかった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
そつと夜深よふけの小窓を明けて見ると、低くけぶりわたる空の其處此處に、ぽつり/\と浮いてゐる星は、形の恐しく大きいばかりで、にじんだ色のやうに光がない。
歓楽 (旧字旧仮名) / 永井荷風永井壮吉(著)
廻船問屋かいせんどんやで栄えていた故郷の家の屋造りや、庸三の故郷を聯想れんそうさせるような雪のしんしんと降りつもる冬の静かな夜深よふけなみの音や、世界の果てかとおもう北の荒海に、幻のような灰色のかもめが飛んで
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
少し風が吹きはじめたが、薄い霧が下りているので、見渡す夜深よふけの街のあおしずかにかすんださまは夏の夜明けのようで、あわくおぼろな星の光も冬とは思われない。
ひかげの花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
帚葉翁そうようおうとわたくしとが、銀座の夜深よふけに、初めてあの娘の姿を見た頃と、今年図らず寺島町の路端でめぐり逢った時とを思合せると、歳月は早くも五年を過ぎている。
濹東綺譚 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
然り、夜深よふけの街の趣味は、すなはちこの不安と懐疑と好奇の念より呼び起さるゝ神秘に有之候これありそろ
夜あるき (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
深川の堀割の夜深よふけ、石置場のかげから這出はいだす辻君にも等しい水転みずてんの身の浅間あさましさを愛するのである。悪病をつつむくさりし肉の上に、ただれたその心の悲しみを休ませるのである。
妾宅 (新字新仮名) / 永井荷風(著)