多助たすけ)” の例文
平山はきのふあけ七つどきに、小者こもの多助たすけ雇人やとひにん弥助やすけを連れて大阪を立つた。そしてのち十二日目の二月二十九日に、江戸の矢部がやしきに着いた。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
「それはわたしにはわかりませぬ、そんな事が書物かきものにあつたとひますけれども、わたしにはわかりませぬ」「初代しよだい多助たすけといふ人は上州じやうしうの人ださうですが、さうかえ」
塩原多助旅日記 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
その村に伊作いさく多助たすけ太郎右衛門たろうえもんという三人の百姓がありました。三人の百姓は少しばかりの田を耕しながら、その合間に炭を焼いて三里ばかり離れた城下に売りに行くのを仕事にしておりました。
三人の百姓 (新字新仮名) / 秋田雨雀(著)
其頃そのころの百りやう二百りやうふのはたいしたものだから、もうこれくにかへつて田地でんぢへるし、いへてられるといふので、おほいによろこんで多助たすけに相談のうへくにかへつた。
塩原多助旅日記 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
茶呑咄ちゃのみばなしに残したる。炭売多助たすけが一代記を。拙作せっさくながら枝炭えだずみの。枝葉をそえ脱稿やきあげしも、原来もとより落語なるをもって。小説稗史はいし比較くらべなば。所謂いわゆる雪と炭俵。弁舌くちは飾れど実の薄かるも。
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
多助たすけでん是真翁ぜしんをうが教へてくれたのが初まりだが、可笑をかしいぢやありませぬか。
塩原多助旅日記 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
母「うなれば宜しい、機嫌を直してくがいいよ、これ/\多助たすけや」
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)