)” の例文
だ、予は従来の一切の経験を以て、わが不動の信念のいしずゑとせんには、尚ほしかすがに一点の虧隙きげきあるを感ぜざるを得ざりし也。
予が見神の実験 (新字旧仮名) / 綱島梁川(著)
だ異なるは前者の口舌の謇渋けんじゅうなるに反して後者は座談に長じ云々と、看方みかたに由れば多少鴎外をけなして私を揚げるような筆法をろうした。
鴎外博士の追憶 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
いましふ所の如くば、の勝たむこと必ずしからむ。こころねがふは、十年百姓をつかはず、一身の故を以て、万民おほむたからわづらはしいたはらしめむや。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
〔譯〕前人は、英氣えいきは事をがいすと謂へり。余は則ち謂ふ、英氣は無かる可らず、圭角けいかくあらはすを不可と爲すと。
司馬温公の「吾れ人に過ぎるもの無し、だ平生の為す所、いまかつて人に対して言うべからざるもの有らざるのみ」
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
静穏の美こそ最後の美である。『臨済録』にいう、「無事はこれ貴人、だ造作することなかれ」と。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
廉宣仲云ふ、此はだ句の美を取る、もし六月臨平山下路と云はば、則ち佳ならず、と。
だ、自分が其の間に種々いろいろと考えて見ると、一体、自分の立てた標準に法って翻訳することは、必ずしも出来ぬと断言はされぬかも知れぬが、少くとも自分に取っては六ヶ敷むつかしいやり方であると思った。
余が翻訳の標準 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
「清明上巳節匆匆。江上花開人悪折。折残千樹稀一紅。絶無歌姫坐画舫。但有行李圧短篷。五月東山兵火発。(中略)金銀仏寺付一炬。荒涼只剰枯林叢。」〔清明上巳節匆匆タリ/江上花開ケバ人みだリニ折ル/折残ス千樹一紅稀ナリ/絶ヘテ歌姫ノ画舫ニ坐ス無シ/ダ行李ノ短篷ヲ
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
今人杜詩を解する、だ出処を尋ね、少陵の意初めより是の如くならざるを知らず。
だ予は、予が今日の分として、この実験の意義、価値の幾許いくばくなるかをはかり知るあたはざるのみ。真理の躰察、あに容易ならんや。予は唯だ所謂いはゆる「悟後の修行」に一念向上するあらんのみ。
予が見神の実験 (新字旧仮名) / 綱島梁川(著)
だ、そのかわり、火の消えたように、しずまッてしまい、いとど無口が一層口をかなくなッて、呼んでも捗々はかばかしく返答をもしない。用事が無ければ下へも降りて来ず、ただにのみ垂れめている。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
欧詩に云ふ、雪裏花開イテ人未知、摘相顧ミテ驚疑、便ベシメテ花前、初今年第一枝と。初めだ桃花に一種早く開ける者あるのみとおもへり。