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上野
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かうづけ
ふりがな文庫
“
上野
(
かうづけ
)” の例文
四、鉱業人は、
上野
(
かうづけ
)
国待矢場両堰水利土切会と契約し、自費を以て両堰水門内に沈澱場を設け、時々之を
浚渫
(
しゆんせつ
)
すべき準備中なり。
政治の破産者・田中正造
(新字旧仮名)
/
木下尚江
(著)
隨分
酷
(
ひど
)
い目に遇ひながら、先づ相摸と武藏のあら方、それから
上野
(
かうづけ
)
の一部を歩いて、
慶應
(
けいおう
)
二年の暮おし詰めて江戸へ歸つた。
兵馬倥偬の人
(旧字旧仮名)
/
塚原渋柿園
、
塚原蓼洲
(著)
僧道鏡の貶せられた藥師寺の趾やその墓の今日猶その附近に殘つてゐるのを見ても、
上野
(
かうづけ
)
の國府から
下野
(
しもつけ
)
の國府へとの路の榮えたさまが想像された。
日光
(旧字旧仮名)
/
田山花袋
(著)
武藏
(
むさし
)
から
上野
(
かうづけ
)
へかけて平原を横切つて汽車が
碓氷
(
うすひ
)
にかゝらうとする、その左手の車窓に沿うて仰がるゝ妙義山の大岩壁は確かに信越線中での一異景である。
樹木とその葉:26 桃の実
(旧字旧仮名)
/
若山牧水
(著)
愷の出入扶持には猶
参河
(
みかは
)
吉田の松平伊豆守
信古
(
のぶひさ
)
の給する五人扶持、
上野
(
かうづけ
)
高崎の松平右京亮
輝聡
(
てるとし
)
の給する二人扶持、播磨姫路の酒井
雅楽頭忠顕
(
うたのかみたゞあき
)
の給する若干口があつた。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
▼ もっと見る
北方
(
ほつぽう
)
上野
(
かうづけ
)
の
國
(
くに
)
吾妻川
(
あづまがは
)
に
沿
(
そ
)
うて
百數十村
(
ひやくすうじつそん
)
を
埋
(
うづ
)
め、
千二百人
(
せんにひやくにん
)
の
死者
(
ししや
)
を
生
(
しよう
)
ぜしめた。
火山の話
(旧字旧仮名)
/
今村明恒
(著)
最近
(
さいきん
)
に
上野
(
かうづけ
)
の
國
(
くに
)
のある
前方後圓
(
ぜんぽうこうえん
)
の
古墳
(
こふん
)
では、
周圍
(
しゆうい
)
の
堀
(
ほり
)
の
外側
(
そとがは
)
、ちょうど
墓
(
はか
)
の
前
(
まへ
)
のところに、
筒形
(
つゝがた
)
のものを
長
(
なが
)
い
間
(
あひだ
)
二重
(
ふたへ
)
に
竝
(
なら
)
べ、その
一部分
(
いちぶぶん
)
に
人間
(
にんげん
)
や
馬
(
うま
)
や
鳥
(
とり
)
の
埴輪
(
はにわ
)
を
集
(
あつ
)
めて
立
(
た
)
てたのが
發見
(
はつけん
)
されました。
博物館
(旧字旧仮名)
/
浜田青陵
(著)
風流は
寒
(
さぶ
)
いものとは
三馬
(
さんば
)
が下せし定義なり山一つ越えて輕井澤となれば國も
上野
(
かうづけ
)
が
信濃
(
しなの
)
となり管轄縣廳も群馬が長野と變るだけありて
寒
(
さぶ
)
さは十度も強しといふ前は碓氷
後
(
うしろ
)
は淺間の
底冷
(
そこびえ
)
に峠で流せし汗冷たく身輕を
木曽道中記
(旧字旧仮名)
/
饗庭篁村
(著)
一は
上野
(
かうづけ
)
の山中を注流して利根川に合し一は當國を貫流し常陸下總の間に至るもの、則ち鬼怒川の流れを爲すと。
日光山の奥
(旧字旧仮名)
/
田山花袋
(著)
駅を出て普済寺に
詣
(
いた
)
る。二里廿九町本荘駅なり。
釧雲泉
(
くしろうんせん
)
を訪。前月信濃善光寺へ行き、遇はず。二里新町駅。これより
上野
(
かうづけ
)
なり。神奈川を渡る。川広六七町なれども、砂石のみありて水なし。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
上野
(
かうづけ
)
の草津に來り誰も聞く湯揉の唄を聞けばかなしも
みなかみ紀行
(旧字旧仮名)
/
若山牧水
(著)
上野
(
かうづけ
)
榛名
(
はるな
)
山上榛名湖にて。
樹木とその葉:19 なまけ者と雨
(旧字旧仮名)
/
若山牧水
(著)
“上野”の意味
《固有名詞》
こうずけ、かみつけ
うえの
(出典:Wiktionary)
“上野”の解説
上野(うえの)は、東京都台東区の町名。また、上野駅を中心とした副都心。現行行政地名は上野一丁目から上野七丁目。郵便番号は110-0005。
(出典:Wikipedia)
上
常用漢字
小1
部首:⼀
3画
野
常用漢字
小2
部首:⾥
11画
“上野”で始まる語句
上野国
上野介
上野原
上野先生
上野毛
上野町
上野公園
上野谷中
上野太郎
上野介正純