“りようち”の漢字の書き方と例文
語句割合
領地100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
それからもと支那(しな)の領地(りようち)であつて、今(いま)は日本(につぽん)の一部(いちぶ)になつた臺灣(たいわん)にも石器時代(せつきじだい)の遺物(いぶつ)が出(で)ますが、支那(しな)から出(で)るものとよく似(に)てをります。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
國際法上(こくさいほふじやう)から言(い)つても「地球上(ちきゆうじやう)に、新(あらた)に發見(はつけん)されたる島(しま)は、其(その)發見者(はつけんしや)が屬(ぞく)する國家(こつか)の支配(しはい)を受(う)く」との原則(げんそく)で、當然(たうぜん)大日本帝國(だいにつぽんていこく)の新(しん)領地(りようち)となるべき處(ところ)である。
さて鴨緑江(おうりよつこう)をわたり北(きた)の方(ほう)へ行(ゆ)きますと、支那(しな)の領地(りようち)の南滿洲(みなみまんしゆう)でありますが、こゝは日清戰爭(につしんせんそう)、日露戰爭(にちろせんそう)などがあつて以來(いらい)、日本(につぽん)と縁(えん)の深(ふか)い土地(とち)であります。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
之(これ)よりは我(わが)大日本帝國(だいにつぽんていこく)の領地(りようち)である事(こと)を表示(ひやうし)する爲(ため)に、幾本(いくほん)の日章旗(につしようき)を海岸(かいがん)に飜(ひるがへ)して置(お)いても、一朝(いつてう)此處(こゝ)を立去(たちさ)つた後(あと)の事(こと)は、少(すくな)からず氣遣(きづか)はれるのである。
大日本帝國(だいにつぽんていこく)の領地(りようち)である事(こと)を明示(めいし)し得(う)る計畫(けいくわく)を立(た)てゝ置(お)かねばならぬ。
この將軍塚(しようぐんづか)や碑(ひ)のあるところは鴨緑江(おうりよつこう)の北(きた)で、今日(こんにち)では支那(しな)の領地(りようち)となつてゐます。高句麗(こうくり)は、その後(ご)この北(きた)の方(ほう)から都(みやこ)を平壤(へいじよう)に移(うつ)しましたので、その後(ご)の古墳(こふん)は平壤(へいじよう)の西(にし)の方(ほう)にたくさんあります。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)