“ひやうぎ”の漢字の書き方と例文
語句割合
評議100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
最(もつと)も振(ふる)つて居(ゐ)たのは三十六年(ねん)一月(ぐわつ)元旦(ぐわんたん)で、此日(このひ)年始(ねんし)に來(き)た幻花子(げんくわし)は、掘初(ほりぞ)めをすると云(い)つて唯(たゞ)一人(ひとり)で出掛(でか)けたのを、後(あと)から、靜灣(せいわん)、佳水(かすゐ)、天仙(てんせん)、望蜀(ぼうしよく)、古閑(こかん)、狹衣(さごろも)、活東(くわつとう)の七人(にん)と評議(ひやうぎ)の上(うへ)
それより海岸(かいがん)の家(いへ)は沸(わ)くが如(ごと)き騷(さわ)ぎで、種々(しゆ/″\)評議(ひやうぎ)の結果(けつくわ)、此(この)危急(ききふ)を救(すく)ふには、輕氣球(けいきゝゆう)を飛(と)ばすより他(ほか)に策(さく)は無(な)いといふ事(こと)に定(さだま)つたが、氣球(ききゆう)を作(つく)る事(こと)は容易(ようゐ)な業(わざ)ではない、幸(さひはひ)にも、材料(ざいれう)は甞(かつ)て
斯(かく)て江戸高輪の旅館(りよくわん)出來(しゆつたい)の由書状(しよじやう)到來せしかば一同に評議(ひやうぎ)の上早々江戸下向と決し用意も既に調(とゝの)ひしかば諸司代牧野丹波守殿(まきのたんばのかみどの)へ使者を以て此段を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)