“なごや”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:ナゴヤ
語句割合
名古屋38.1%
31.0%
名護屋16.7%
那古屋4.8%
名児耶2.4%
奈古屋2.4%
奈古谷2.4%
2.4%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
うはさらなかつた隧道トンネルこれだとすると、おとひゞいた笹子さゝご可恐おそろしい。一層いつそ中仙道なかせんだう中央線ちうあうせんで、名古屋なごや大𢌞おほまはりをしようかとおもつたくらゐ。
魔法罎 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
もう少し角だてずにやさしくなごやかに解決がつくべき筈だ。彼女の生活と母親の生活が合ふ筈のないことは誰にも解ることである。
ウォーレン夫人とその娘 (新字旧仮名) / 伊藤野枝(著)
薨去こうきょらせを、太閤は、名護屋なごやの陣で知ったのである。彼は生涯の大事業としている朝鮮役の出征にかかっていた。
日本名婦伝:太閤夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
瀬戸せとの職人たちだの、那古屋なごや清洲きよすのとくい先の家族だの、武家だの、親類先のまた知りあいの者だのと——ずいぶんな客が夕方からぞろぞろ集まった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
名児耶なごや・細川、斯波しばなど一族子弟の討死も幾人かしれなかった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
文覚は伊豆の住人近藤四郎国隆くにたかのあっせんで奈古屋なごやの奥に住んでいたが、ここから兵衛佐頼朝のいるひる小島こじまは近かった。頼朝と親しくなった文覚は、話相手として殆んど毎日のように訪れていた。
この頃、箱根の別当の弟、永実から聞いたはなしに依ると、ここから二里ほど山へ這入はいった奈古谷なごやという小部落の寺に、高尾の文覚上人もんがくしょうにんという者が、罪を得て都から流されて来ている。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
岡に寄せ我が刈るかや狭萎草さねがやのまことなごやろとへなかも (同・三四九九)
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)