“こうしゅう”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:コウシュウ
語句割合
甲州28.2%
杭州23.1%
公衆10.3%
江州5.1%
広州5.1%
寇州2.6%
孔秀2.6%
口臭2.6%
向宗2.6%
寇讎2.6%
岡岫2.6%
拱州2.6%
校讐2.6%
洪州2.6%
膠州2.6%
賡酬2.6%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
とらの門、青山、明治神宮の上空を飛んで、世田谷区にはいり、それから、甲州こうしゅう街道ぞいに、八王子はちおうじ市の方向にむかったということでした。
宇宙怪人 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
杭州こうしゅうから福県ふくけんのあたりを荒し廻った海賊の五島我馬造ごとうがまぞうが隠居所に建てた唐館だそうだが、それにしても酔狂にも程がある。
それで公衆こうしゅうはあのイタリア人のじいさんがどんなふうにやるか。「閣下かっか、いずれ明日」と言ったてぜりふの意味がなんであったか、それを知りたがっていたのである。
関寺小町というのは江州こうしゅう関寺の住僧が七夕の日に稚児ちごたちを連れて、その山陰にいおりを結んでおる小野小町のなれの果をおとない、和歌の問答をし、やがて稚児たちに童舞わらわまいを舞わすと、小町も興に乗り
俳句の作りよう (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
広州こうしゅうの太守葉南田しょうなんでんばつを得て世に行わる。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
つまり妖術競べにおいて、完全に、高廉が破れた証拠だ。さすが高廉もこれにはガックリ自信を失って、急遽、隣の東昌と寇州こうしゅうの二州へ援軍の急を求めた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「——東昌、寇州こうしゅうの援軍がつきましたぞ!」と、望楼番の歓声だった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
東嶺関とうれいかん孔秀こうしゅうが関羽をはばめて斬られた由を聞かれ、さて、わが失念の罪、もし行く行く同様な事件が起きたら、諸所の太守をあだに死なすであろうと——にわかに告文を発しられ
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
曹操の与党、孔秀こうしゅうというものが、部下五百余騎をもって、関門をかためていた。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が、宋江はそれに惑溺わくできしきれない不幸児でもあったのだ。なるほど十九の婆惜ばしゃくは佳麗絶世といっていいが、その口臭こうしゅうにはすぐ下品を感じ出し、玉の肌にもやがては何か飽いてくる。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのうちに、この地方では、春秋の訪れと同様にしばしばある一向宗こうしゅうの乱が、彼が移住した後も、のべつに起った。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
甚だしきは一人の脳に別人ごとく反対した人格を具し、甲格と乙格と相嫌いにくむ事寇讎こうしゅうのごときもある。
普寧県に竜葬のあり、父老いう竜この洲において蛻骨す、その水今なお竜骨多し、按ずるに山阜岡岫こうしゅう、竜雲雨を興すもの皆竜骨あり、あるいは深くあるいは浅く多く土中にあり
右相丞鄭雍ていようの甥の鄭某は拱州こうしゅうに住んでいた。その頃、京東けいとうは大饑饉で、四方へ流浪して行く窮民が毎日つづいてその門前を通った。
徐承祖じょしょうそが『訪古志』に序して、「大抵論繕写刊刻之工たいていはぜんしゃかんこくのこうをろんじ拙於考証こうしょうにつたなく不甚留意はなはだしくはりゅういせず」といっているのは、我国においてはじめて手を校讐こうしゅうの事にくだした抽斎らに対して
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
洪州こうしゅうの北ざかいの大王埠たいおうふという家があった。
膠州こうしゅう竇旭とうきょくは幼な名を暁暉ぎょうきといっていた。
蓮花公主 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
遺稿の中に泉豊洲、倉成竜渚くらなりりゅうしょ頼杏坪らいきょうへいらと賡酬こうしゅうの作あるは重に嚶鳴館の関係からであろう。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)