“かんぽう”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
寛保16.7%
干宝16.7%
寛宝11.1%
管鮑11.1%
観棚11.1%
観法11.1%
函峰5.6%
官袍5.6%
寛袍5.6%
漢方5.6%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
寛保(かんぽう)延享(えんきょう)の頃の漆絵(うるしえ)紅絵(べにえ)には早くも西洋風の遠近法を用ひて巧(たくみ)に遠見(とおみ)の景色と人物群集の状(じょう)とを描き出(いだ)せり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
東晋の干宝(かんぽう)は幼より学を好み、古来の怪奇伝説などを一切信憑しなかったが、あるとき我家に仕えている下婢に関して霊異の事実があったので、世には理外の理あることを初めて信ずるようになって
怪奇一夕話 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
寛宝(かんぽう)三年の四月十一日、まだ東京を江戸と申しました頃、湯島天神(ゆしまてんじん)の社(やしろ)にて聖徳太子(しょうとくたいし)の御祭礼(ごさいれい)を致しまして、その時大層参詣(さんけい)の人が出て群集雑沓(ぐんじゅざっとう)を極(きわ)めました。
もし寸毫の虚偽をも加えず、我我の友人知己に対する我我の本心を吐露するとすれば、古(いにし)えの管鮑(かんぽう)の交りと雖(いえど)も破綻(はたん)を生ぜずにはいなかったであろう。
侏儒の言葉 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
尋(つい)でその舞台開(ぶたいびらき)の夕(ゆうべ)にも招待を受くるの栄(えい)に接したのであったが、褊陋(へんろう)甚しきわが一家の趣味は、わたしをしてその後十年の間この劇場の観棚(かんぽう)に坐することを躊躇(ちゅうちょ)せしめたのである。
十日の菊 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
と是から行灯(あんどう)を持って参り、夜具を貸して寝かしてくれました、美惠比丘尼は居間に這入り看経を仕舞い、蕎麦掻を少し喰べてから薄い木綿の座布団を内仏(ないぶつ)の前へ敷き、足を組んで坐禅観法(かんぽう)をいたし
村上は安政の頃より毅堂に師事した小田原の藩士で、名は珍休、字は季慶、号を函峰(かんぽう)という。あたかもこの年甲府徽典館の教授となった。久保田は登米県大属久保田藤助であるがその人物は詳でない。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
見ると、銀紋草色の官袍(かんぽう)に金唐革(きんからかわ)の胸当(むねあて)をあて、剣帯(けんたい)の剣を前に立ててそれへ両手を乗せ、ぎょろと、椅子(いす)からこっちを睨まえている人物がある。ここの高官にしては思いのほか若そうな年齢だ。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ギリシャの寛袍(かんぽう)のように仮衣をまとった女主人公が、片腕を挙げ、頭をたれて、やはりアンチゴーネらしい演じ方をしていた。
小栗はかくのごとく自(みず)から内外の局(きょく)に当(あた)りて時の幕吏中(ばくりちゅう)にては割合に外国の事情(じじょう)にも通じたる人なれども、平生(へいぜい)の言(こと)に西洋の技術(ぎじゅつ)はすべて日本に優(まさ)るといえども医術(いじゅつ)だけは漢方(かんぽう)に及ばず